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習近平は、毛沢東が「親日」だったことを知っているか【後編】

文/幸福実現党・政務調査会チーフ 小鮒将人

◆毛沢東が持っていた「歴史認識」

今回は、書籍「毛沢東」(遠藤誉著/新潮新書)より、毛沢東の「歴史認識」が現在の中国や韓国の指導者と全く異なることを幾つかの事例を通じて、お伝えいたします。

(1) 1956年9月、元日本陸軍の遠藤三郎元陸軍中将が、北京で毛沢東と会談した際に、以下のような言葉を述べたことが書籍「廖承志と日本」に記録されています。

「日本の軍閥がわれわれ(中国に)進攻してきたことに感謝する。さもなかったらわれわれは今まだ、北京に到達していませんよ。」

(2) 1961年1月、社会党の国会議員との対談でも、以下のような言葉を語っています。(「毛沢東外交文選」より)

南郷三郎氏と会ったとき、(南郷氏が)「日本は中国を侵略しました。お詫びのしようもない」と言いました。

私(毛沢東)は「あなたたちは、そういう見方をすべきではない。日本の軍閥が中国のほとんどを占領したからこそ、中国人民を教育できたのです。さもなかったら、中国人民は覚悟を抱き団結することができなかった。」

「そうなれば私は今もまだ山の上にいて、北京で京劇を観ることなどできなかったでしょう。(中略)もし、感謝という言葉を使うなら、私はむしろ日本の軍閥にこそ感謝したのです。」

さらに、1964年、社会党の訪中時にも、ひたすら謝罪の言葉を重ねる社会党議員に対して、毛沢東は同様に、日本軍への「感謝」を表明しているのです。

◆「南京大虐殺」について一度も触れた事がない

さて、「毛沢東」(遠藤誉著/新潮新書)では、毛沢東と「南京大虐殺」についての関連についても触れています。実は、毛沢東は、一度も「大虐殺」に触れたことがないのです。

「少なくとも毛沢東は新中国が誕生した後、そして彼が生きていた間、ほぼひとことも『南京大虐殺』に関して触れたことがない。教科書でもほとんど教えたことがないし、何か人民に向けたスピーチなどで取り上げたこともない。」

「毛沢東」を尊敬し、見習っている習近平氏は、ぜひこの部分に注目していただきたい。

プロパガンダのプロでもあった毛沢東が全く触れなかったというのは、実際に起こっていなかったからです。

その説を裏付けるデータがここに掲載されていました。

中国共産党の機関紙「人民日報」に「南京大虐殺」という言葉が何回でてきたのか、実際に調査した方が香港に居たそうです。その結果、

1946年~1960年 21回
1961年~1982年  0回
1982年~2105年 835回

1946年の第1期に掲載されたのは、東京裁判のテーマになったからであろうと推測されます。

しかし1982年以降の数字は常軌を逸しており、やはり何らかの政治的な意図があったものと推測せざるを得ません。

その「南京大虐殺」を大々的に宣伝したのが江沢民です。

◆江沢民の父は親日政権の元宣伝部長

江沢民はなぜ、これほどまでに反日の姿勢をつくろうとしたのでしょうか。

一つの説得力のある話として、彼の父親が大東亜戦争当時の汪兆銘政権で宣伝部長を行っていたということが大きいと言われています。

汪兆銘政権は毛沢東、蒋介石とは異なり、親日政権として東條英機首相が主導した大東亜会議にも中国代表として参加しました。

江沢民氏はそうした親日のレッテルが自らの政治生命を危うくするものだと感じたのかもしれません。いずれにしても、結果として、江沢民の時代から異常な反日教育が始まっているのです。

◆習近平は、ユネスコ遺産登録を速やかに取り消すべし

毛沢東は、明確に「南京大虐殺」に触れたことは一度もありませんでした。

彼は、表向きだけでも日本軍と戦った当事者で、本来、彼こそが民族の悲劇に対して主張すべき立場にいた人間であります。

現在、「毛沢東主義」を掲げ、国家の近代化を遅らせようとしている習近平国家主席には、以上のような事実をしっかり認識し、南京大虐殺について述べたことがない毛沢東を見習って、ユネスコ世界記憶遺産の登録取り消しを速やかに行うことを勧める次第です。

参考図書:「毛沢東」遠藤誉著/新潮新書

こぶな 将人

執筆者:こぶな 将人

政務調査会チーフ

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