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日本人のほとんどが、実は正しく理解できていない「保守」と「リベラル」のホントの意味

幸福実現党選対本部・湊侑子

※当記事は、YouTubeチャンネル「Truth Z」に連動しています。
ぜひ、下記動画をご覧ください。
https://youtu.be/PADGEF5b8fU

◆分かるようで曖昧な「保守」「リベラル」の定義

最近評判になっているテレビ番組に『不適切にもほどがある』という番組があります。

これは、昭和のダメおやじが令和にタイムスリップし、その「不適切」発言が令和の停滞した空気をかき回す、という内容で、現代の働き方改革やハラスメント概念、教育などに対して、おもしろおかしく疑問を呈する内容です。

ある意味、令和の行き過ぎたリベラルに対する批判にも見えます。

政治の世界では、昨年自民党が「LGBT理解増進法」を成立させたことに対し、日本の伝統や歴史に反しており「自民党はもう保守ではない」と、新しく保守を名乗る政党が誕生しました。

このように、私たちは「リベラル」とか「保守」という言葉を使っていますが、「保守」と「革新、リベラル」は反対の概念ですが、これらの定義をはっきりと答えられる人は少ないのではないかと思います。そこで今回は、これらの言葉の意味について考えてみたいと思います。

◆「保守」と「フランス革命」の関係性とは?

日本では、「保守」というと、皇室や伝統を重んじるというイメージが定着していますが、具体的に何を保守するのか、は曖昧な状態が続いてきています。「保守」とは、もともとはフランス革命を批判する政治的立場を指していました。

保守主義の元祖は、英国の18世紀の政治家「エドマンド・バーク」であると言われています。著書『フランス革命の省察』のなかで、バークがフランス革命を批判した論調が保守主義と呼ばれたことが、保守のはじまりだと言われています。

バークの考えによると、フランス革命は、人間の理性で考えられた理想主義で、フランスの歴史や伝統、宗教を破壊し、国家の秩序をなくすものである。その結果は国民の自由と安全を脅かすものとなり、「いかなる国家も神を信じない合理主義者に支配されるべきではない」と批判しました。

その後のフランス革命の混乱や、共産主義による独裁や大量粛清をみるに、バークの先見性が後世、高く評価されています。

フランスの外に目を転じると、バークは、アメリカの独立を、信教の自由の拡大と支持しました。さらに、自国の英国のインドに対する支配の在り方については、インドの伝統的価値を奪ったとも弾劾しています。

バークのいう保守主義とは、旧来の制度を単に守り続けることではなく、個人の財産の自由、信教の自由を、秩序あるものとして少しずつ拡大するものであります。その中でも特に、信教の自由を大切にするのが保守の基本であるのです。

◆「リベラル」の中に潜む大きな危険性とは?

それに対して、リベラルとは人間の理性で考えた通りにすれば、世の中は変えられるという考え方です。伝統や宗教を無視して政治体制を作り上げようとする考え方で、共産主義国がその典型的な例となります。

その結果、何事も役人が立案し、国民をその下に従わせる「大きな政府」が出来上がっていきます。

このリベラリズムに対して、「保守」は人間の知性には限界があり、いくら理性的に新しい制度を考案しても、それが正しく機能するという保証はないと考えます。

そのため先人たちが長い時間をかけて検証してきた叡智の結晶である過去の伝統や文化を大切にしながら、変えるべきところを変え、自由を拡大していこうという考え方です。

真なる「保守」は、政府からの干渉をできるだけ小さくしようとする、「小さな政府」を指向するのです。

幸福実現党の大川隆法党総裁は、保守とは、「家庭や社会、国家にたいして責任を感じる立場」と定義されて、その著書『危機に立つ日本』のなかで、次のように述べられています。

「さらには、『理屈どおりにいかない繁栄というものがある』ということを知らなくてはいけません。それは、トックビル(フランスの政治学者〔一八〇五〜五九〕)が見たアメリカの民主政治と同じものです。

『なぜかは知らないけれども、民衆に活気があり、繁栄していく世界』というものがあり、こちらの世界観のほうを大事にしなければいけません。

ルソーなどの影響を受けた、フランス革命等の『理性主義的な民主主義』のなかには、危険なものが潜んでいて、実は、ロシア革命や中国革命で起きた大量粛清につながっていくものがあります。

冷たい理性主義が流行ると、自分たちの理論や考え方と合わない者を処刑し、粛清していくようになるのです。これに気をつけなければいけません。

やはり、『多くの人たちの智慧を引き出し、繁栄を導いていく』という、自由主義を守ることが大事です。

そして、そのなかに、『社会に対する責任、国家に対する責任、あるいは家族に対する責任、こういう責任を負う』という自覚を持ったときに、それが『保守』となるのです。自由と保守とが結びつくわけです。 

今、日本において、自由政党も保守政党もなくなろうとしています。しかし、最も伝統的で古く見えるものが、 実は、最も新しく、未来につながるものなのです。」
(引用終わり)

◆今の日本における「保守」のあるべき姿とは?

ある意味で「保守」とは、人間の知性を超えた神の存在を信じることであり、決して古い制度を守り続けることではありません。人間の知性や理性を超えた「神の心」を無視した「保守」というのは本来の保守ではないのです。

ですから、保守政治が目指すものは、戦前の日本神道で統制する国家や、すべてを国が面倒をみる、行き過ぎた福祉国家でもありません。ましてAIによって管理される国家でもありません。個人の自由を守りながら、社会に対する責任を負う自覚のある社会。自助努力や勤勉さを重んじる社会ではないでしょうか。

神を大切にするということで、いわゆる「保守」と言われる政党は皇室を尊重している面がありますが、残念ながら日本神道には教えがありません。「かたち」だけ尊重すれば、政治で何をやってもいいというものではありません。それが「大きな政府」に流れた今の自民党政治であると考えます。

幸福実現党は、何もかも国家が面倒をみる「大きな政府」ではなく、個人の努力や責任を尊重する「小さな政府」を目指すべきだと考えています。

また、国防については、まわりの国の善意を信じる理想主義ではなく、国民の生命と財産を守る権利として、防衛権はあるという伝統的な考え方に立つべきだと思います。

さらに、善悪を教える神の心を知り、尊重する姿勢を持たないといけません。国の繁栄も、真なる「保守主義」から生まれるのではないでしょうか。

みなと 侑子

執筆者:みなと 侑子

HS政経塾1期卒塾生

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