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「南京大虐殺」の虚構――「大虐殺」の命令はあったのか

文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩

◆「大虐殺」の命令はあったのか

アメリカは広島や長崎の原爆、東京などの空襲で、一般市民30万人以上を「大虐殺」しました。これは逃れようのない歴史の事実です。国際法で禁じられている一般市民の大虐殺をアメリカは「国家の命令」によって行ったのです。

では、日本国あるいは日本軍による「大虐殺」の命令はあったのでしょうか。今回は南京での虐殺の責任を問われ絞首刑になった松井石根大将が大虐殺の命令を出したのかどうか、検証してみましょう。

◆日本軍の「南京城攻略要項」

1937年12月7日、日本軍は南京攻略戦にあたり部隊へ「南京城攻略要領」として、その際の心得、注意を指示しました。

この中に、南京攻略作戦の準備、手順などが示され、最後の7つ目の「南京城の攻略及入城に関する注意事項」で皇軍(神の軍隊)として、諸外国の権益を保護すること、正々堂々、将来の模範となるよう、不法行為を厳しく取り締まる内容が書いてあります。(抜粋)

「部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし支那軍民をして皇軍の威風に敬仰帰服せしめ苟も名誉を毀損するがごとき行為の絶無を期するを要す」

「掠奪行為を為し又不注意と雖も火を失するものは厳罰に処す」

「軍隊と同時に多数の憲兵、補助憲兵を入城せしめ不正行為を摘発せしむ」

これを見てもわかるように南京攻略の総責任者である松井石根大将は、日本軍が入城する際に、厳しい軍紀を示しています。

これについては中山寧人(南京戦当時陸軍少佐)氏の以下の証言からも窺えます。(「東京裁判 第214号1947年5月12日弁護側反証段階(三)」)

「松井大将は蘇洲到着後、塚田参謀長に対し『南京は中国の首都であるから之が攻略は世界的事件である故に慎重に研究して日本の名誉を一層発揮し中国民衆の信頼を増す様にせよ』と言われました。」

以上のように日本軍の命令として計画的な殺戮や強姦はなかったことを、「南京城攻略要項」が証明しています。

◆軍による計画的な虐殺はなかった

ただ、残念にも100%日本軍の軍紀が守られたかとそうではありませんでした。第十軍の法務部長であった小川関次郎氏は、残っていた記録から11月から南京に入城した12月まで20人くらいの処罰を行ったと東京裁判で証言しています。

そもそも「大虐殺」の命令が出ているのであれば、処罰する必要もありません。

当時、松井大将は若干の不祥事を把握しており、南京陥落後に行なわれた慰霊祭の際に15分にわたって「いまわしい事件が起こり、戦没将兵が立てた功を半減させてしまった。なにをもって英霊にまみえんか」と涙ながらに軍紀の粛正を訓示しました。

東京裁判で松井大将はこうした若干の不祥事があったことを正直に認めました。ところが、この若干の不祥事が、判決になると「20万人の大虐殺」として下されたのです。

こうして国家の命令として原爆と大空襲という国際法で禁じられていた民間人の大虐殺を行ったアメリカが、若干の不祥事にも関わらず松井大将に、20万人大虐殺の汚名を着せて絞首刑台に送り込んでしまったのです。

◆正義の女神が過去の賞罰を変える時

戦後70年を経た今、日本に大虐殺という汚名を着せた「東京裁判」が「歴史の真相」によって裁かれる番です。

最後に東京裁判を「勝者による儀式化された復讐」と主張した東京裁判の判事の中で、唯一の国際法学者であったインドのラダ・ビノード・パール博士の次の言葉を紹介します。

時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には 
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎ取った暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら 
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう

※参考
『南京戦史資料集』偕行社
『再検証・南京で本当は何が起こったのか』阿羅健一著 徳間書店

佐々木 勝浩

執筆者:佐々木 勝浩

幸福実現党広報スタッフ 課長代理

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