このエントリーをはてなブックマークに追加

「沖縄2大紙」の歴史から見る反日思想

文/HS政経塾 4期生 幸福実現党 大阪本部副代表 数森圭吾

◆沖縄の2大紙

沖縄では11月16日に沖縄県知事選挙の投開票が行われ現地新聞も選挙関連の記事を多く報道しております。

沖縄には「琉球新報」と「沖縄タイムス」という新聞があり、両紙は「沖縄2大紙」とよばれています。この2紙は反日、反米的主張が多いと言われていますが、その背景を歴史的な視点から検証してみたいと思います。

◆アメリカ軍と2大紙の創刊

先の大戦において、沖縄本土に上陸した米軍は1945年4月1日「琉球列島米国軍政府」を設置し沖縄占領統治を開始しました。ここにおいて米軍政府は沖縄と本土の分断し、沖縄統治を円滑にすすめるために反日宣伝工作を行います。

米軍の沖縄統治は本土のように日本政府を通した間接統治ではなく直接統治でした。このため米軍政府のとった検閲政策はプレスコードやラジオコードによる検閲ではなく、直接米軍の方針を反映できる米軍広報機関として現地に新聞社をつくるという直接的なものでした。

そこでつくられたのが占領下初の新聞である「ウルマ新聞」であり、これは現在の「琉球新報」です。創刊は沖縄戦終結直後の1945年7月25日。この新聞は事実上の「米軍広報宣伝紙」とも言えるものでした。

この新聞の記者であったある邦人は、この新聞をつくることになった際に「米国の宣伝をする新聞をつくるとスパイ扱いされるから御免だとは思ったが、断ると銃殺されるかもわからず、否応なかった」(「沖縄の言論」辻村明、大田昌秀)と話しています。

また、琉球新報と並び、沖縄を代表する新聞である「沖縄タイムス」(1948年7月1日創刊)の創刊号では、当時の社長である高嶺朝光氏が次のように語っています。

「吾々はアメリカの暖かい援助のもとに生活している、この現実を正しく認識することはとりも直さずアメリカの軍政に対する誠実なる協力であり、また、これが沖縄を復興する道である」

さらに同紙創刊者の一人は、

「沖縄タイムスの特色は創立スタッフが戦前にも新聞記者を経験していたことです。戦時中、大衆を戦争に駆り立てたという、(中略)この大きな罪を背負いつつ『立ち直って、反戦の立場からもう一度、新聞をつくってみよう』との意気込みがあった。それは一方で、新聞人としての贖罪の意味ともなり『新の平和を目指す新聞を作る』という心があったんです」(沖縄タイムス1993年7月1日) と語っています。

これらの発言から両紙の原点が「戦争への贖罪」と「親米反日」というアメリカの宣伝工作にあったことがわかります。

◆アメリカによる沖縄復興と左翼思想

戦後、米軍統治によって沖縄ではインフラ整備、医療技術の飛躍的向上が果たされました。また米軍基地周辺では経済が活性化し、戦後急激な復興と発展を遂げています。

このように戦後の沖縄復興に対してアメリカが果たした役割は非常に大きいということができます。戦後、日米の関係は変化し、現在ではアジア諸国の安全保障にとっても両国の友好関係は非常に重要なものになっています。

しかし、1972年の沖縄返還から40年以上たった現在、米軍統治下でつくられた「琉球新報」と「沖縄タイムス」は、ある意味において創刊時と変わらず反日的主張を行い続けているとともに、逆に「反米」も強く打ち出しています。

これは、創刊当時の反日思想を土台としながら、そこに基地問題や補償金などの戦後新たに発生した切り口から左翼思想が入り込んでしまった結果であると考えられます。

知事選を控え様々な情報が飛び交い、各紙がそれぞれの主張を展開しています。「沖縄独立」などといった言葉もよく目にするようになっていますが、私たちはこのような「沖縄2大紙」の歴史を知り、そのスタンスを把握したうえで、正しく情報を読み取る必要があるのです。

数森圭吾

執筆者:数森圭吾

幸福実現党 大阪府統括支部長

page top