「南京大虐殺」の虚構――「崇善堂」の埋葬記録の検証(1)
文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩
◆「崇善堂」の遺体埋葬記録
前回、連合国が日本を裁いた東京裁判において検察側の証拠資料に、南京市が出した「紅卍会」(こうまんじかい)の4万3071体の遺体埋葬記録を検証しました。
今回は、「崇善堂」(すうぜんどう)が出した11万2266体の遺体埋葬記録を検証します。
「崇善堂」とは、清の時代に設立され子供の養育などをしていた慈善団体です。「紅卍会」が出してきた埋葬記録もそうですが、2つの埋葬記録は南京に日本軍が入城(1937年)してから9年後の1946年につくられたものです。
偽証罪(嘘を証言した罪)が問われない東京裁判において、9年を経て裁判のためにつくられた埋葬記録が、はたして信憑性に絶え得るものでしょうか。
「紅卍会」の埋葬記録は、戦後の東京裁判になって突然脚光をあびるようになりました。以後、日本軍による「大虐殺」を主張する論者によって「崇善堂」の11万余体の埋葬記録は「南京大虐殺」を証明するに欠かすことのできない重要な武器となったのです。
こういう筆者も1980年代当時、左派の活動家と「南京大虐殺の論議」をした際に「10万体もの埋葬記録が残っているのを知らないのか!」と一喝され、当時は論破できる資料や論拠がなく返答に困ったことがあります。
逆に言えば、この「崇善堂」の埋葬記録の論拠が崩壊すれば、いわゆる「南京大虐殺」自体も崩壊します。
◆不自然な「崇善堂」の埋葬記録
『日中戦争史』の記録によれば、「崇善堂」は、4月9日から5月1日までの25日間で11万2266体の遺体を埋葬したことになっています。ブルトーザーもトラックもない当時、1日あたり4490体を運び埋葬したことになります。
また、どの埋葬場所にも女性と子供が平均して3パーセントずつ配分されており、あまりにも作為的です。ちなみに「紅卍会」の埋葬記録は、女子と子供はほとんど皆無です。
さらに不可解なことは、日本軍が支援して「紅卍会」が埋葬を済ませた中華門、雨華台、水西門外の区域で、埋葬した記録があることです。これが本当の記録であれば「紅卍会」がきれいに埋葬したあと同じ区域から、しかも数ケ月も経って遺体が大量に出てきたということになります。
もちろん東京裁判で弁護側は、この埋葬記録は、南京戦から9年後につくられたもので、明らかに作為的な記録であると反論しました。しかし一切検証もされず東京裁判の判決は以下のようなものです。
「日本軍が占領してから…虐殺された一般人と捕虜の総数は20万人以上であった。…これらの見積もりが誇張でないことは、埋葬隊とその団体が埋葬した15万5000に及んだ事実によって証明されている。」
こうして、南京で大虐殺があったことは、埋葬数(「紅卍会」と「崇善堂」の埋葬記録を合わせると15万余体)が決定的な決め手になったのです。
◆現在の教科書の記述
現在の日本の歴史教科書では、いまでも下記のように教えています。
「日本軍は南京を占領しました。その過程で女性や子どもを含む中国人を大量に殺害しました。」(中学校「東京書籍」)
「約20万人ともいわれる軍人・捕虜・非戦闘員を殺害するとともに、掠奪・放火・性暴力を多数ひきおこした。」(高校「日本書籍」)
このように東京裁判の判決に基づいて、戦後69年経った今でも中学校、高校で教えられているのです。
では「崇善堂」とはどのような団体だったのかを、次回はさらに詳細に検証します。これを知れば、中国や左派が主張するいわゆる「南京大虐殺」の根拠は完全に崩壊します。