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集団的自衛権の行使反対論に見る「日本原罪論」

文/岐阜県本部政調会長 加納有輝彦

◆左翼系マスコミの反撃

本年7月1日安倍政権が「集団的自衛権の行使」を認めた閣議決定を行いました。

この決定前後の間、平和勢力といわれる人々により官邸前デモが行われ、左翼系のマスコミは「日本が戦争に巻き込まれる、いつか来た道」と平和憲法の死守を訴えるなど、民主党政権の崩壊と共に意気消沈していた左翼系陣営が息を吹き返したかのようです。

いわば、集団的自衛権の容認を巡って、保守系マスコミと左翼系マスコミの力比べ、綱引きが行われている観があります。

とりわけ7月13日に行われた滋賀県知事選挙において与党が支援した候補者が落選した事は、十分な議論のないまま集団的自衛権を容認する閣議決定をした安倍政権の「独裁」に「ノー!」の声だ!の報道攻勢で、左翼系マスコミの巻き返しが激しくなっていると言ってもいいでしょう。

本年11月に実施される沖縄県知事選においては、この流れですと左翼系候補者に有利な風が吹くと予想されます。

◆「絶対善」の平和と「絶対悪」の戦争

また、9日に行われた69回目の「原爆の日」平和宣言において田上長崎市長は、 安倍晋三政権が7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を巡る議論に言及し「『戦争をしない』という誓い、平和の原点が揺らぐことに対する不安と懸念の声に真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求める」 と政府に呼び掛けました。

政治家以外でも文化人の間からも平和憲法死守のメッセージが発信されています。作家なかにし礼氏は、7月10日の毎日新聞夕刊に「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」という詩を発表し、大きな反響がありました。

氏は、記事の中で「日本がこんな国になってしまって悲しくて仕方ない。特定秘密保護法を先につくって、次は集団的自衛権。『戦争だから』と自由に発言できない時代はすぐそこです」と安倍政権を批判しています。

また、夕刊に掲載された詩は、「2014年7月1日火曜日 集団的自衛権が閣議決定された この日 日本の誇るべきたった一つの宝物 平和憲法は粉砕された つまり君たち若者もまた圧殺されたのである・・」から始まり、若者に、「しかし君に戦う理由などあるのか 国のため? 大義のため? そんなもののために 君は銃で人を狙えるのか 君は銃剣で人を刺せるのか・・若き友たちよ! 君は戦場に行ってはならない・・」

そして臆病と言われようが、卑怯者といわれようが、「泣きながら抵抗を始めよう 泣きながら抵抗をしつづけるのだ 泣くことを一生やめてはならない 平和のために!」と詩を結んでいます。

これらの批判に共通しているのは、絶対善としての「平和」と、絶対悪としての「戦争」です。中国の少数民族の弾圧等に関しては、見ざる言わざる聞かざるを通し、覇権主義に対する備えは、軍事力ではなく、外交努力で、文化交流で、経済交流でということでしょう。

総じて近隣諸国の軍事拡張はおかまいなしだが、日本だけは絶対だめということらしいのです。

◆日本人の心に宿る「日本原罪論」

万が一の事態に備え、国民から税金をとっている国が、国民の生命、財産、安全の確保のために国際法で認められた当然の備えしかも最小限の備えすら日本にあっては、絶対に許されないという論理が自国民から生まれてくるとは一体どういうことなのでしょうか。

この疑問に関し、幸福実現党大川隆法総裁は、最新刊『「集団的自衛権」はなぜ必要なのか』の中で、集団的自衛権反対派の根っ子には、「日本原罪論」があると指摘しておられます。

「集団的自衛権」はなぜ必要なのか 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1213

『日本に原罪があり、日本は悪だから滅びてもしかたないのだ』という考えが裏にあるというのです。原罪とは、もともとキリスト教で、人類の祖が犯した最初の罪のことであり人間罪の子思想であります。

日教組が主導した戦後歴史教育においては、人間はサルから進化したから始まり、現代史の「日本は侵略をし、アジアの人々に多大な迷惑をかけた。」で終わります。

つまり、子供たちにとっては、「自分のルーツはサルであり、おじいちゃんは人殺しだった」という歴史教育がなされたことになり、日本人罪の子思想が植え込まれていたといえるかもしれません。

また、当HRPニュースファイル1083「戦後の自虐史観を創った米国の情報操作」(http://hrp-newsfile.jp/2014/1619/)でも指摘された通り、戦後、進駐軍による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」――日本人への洗脳工作もなされました。

◆隷従としての平和

原罪意識を持つ日本人の「平和」とは、すぐに白旗をあげてでも絶対悪の戦争を回避するマインドを持っています。すなわち「平和勢力」の言う「平和」とは「隷属」「隷従」を意味するということです。

私たちは、自由を奪う、自由を制限する国に隷属することをもって「平和」とは考えておりません。その点、自由独立を守る「自衛戦争」はあり得ると考えています。もちろん、侵略戦争は絶対悪であります。

そうした原罪を背負った日本人に、たたみかけるように米韓中による歴史認識の包囲網が敷かれつつあるのが戦後69年の現在の日本の状況です。

ゆえに、幸福実現党が現在行っている日本の誇りを取戻す運動(南京大虐殺はなかった、河野談話の撤回等)は、日本人の精神構造に深く染みついた「原罪意識」を払拭する一大精神運動でもあります。

◆日本人精神史における宗教政党幸福実現党の使命

『「集団的自衛権」はなぜ必要なのか』あとがきにおいて、大川隆法総裁は、現在進行形で他国を侵略し、自国民の基本的人権を踏みにじっている中国に対して、反省を迫るべきであるとされ、日本人自身に対しては、売国的マスコミと、売国奴的「平和」勢力がはびこっていることに対し、神仏への信仰心を立てて浄化の闘いを開始すべしと心得るべきであると喝破されておられます。

その責務を担うことが、宗教政党幸福実現党の使命であると自覚し、日本の自由と独立を守るために戦ってまいりますことをお誓い申し上げます。

加納 有輝彦

執筆者:加納 有輝彦

岐阜県本部政調会長

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