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教育の原点――国は人を以て盛(さかん)なり

文/幸福実現党岐阜県本部政調会長 加納有輝彦

◆国家有為の人材を育てた明治人の心意気

郷里の偉人今井金三郎氏とその子孫の「手記」をこの度、読む機会がございました。

今井氏は、山深い郷里(岐阜県加茂郡白川町・旧佐見村)から苦学の末、大日本帝国海軍の軍医となり、大正10年から、第二次世界大戦前まで、日本海軍の象徴として国民に最も親しまれた連合艦隊戦艦「長門」の初代軍医長に任官され、大正14年には、海軍兵学校軍医長に就任、その後要職を歴任され永く活躍されました。

今井氏がご活躍されたのは大正・昭和時代ですが、教育を受けたのは明治時代です。明治18年地元の寺小屋式小学校に入学。4年の義務教育を修了した後は、進学する資金がなく家業の農業を6年手伝いました。

その後、祖父母の支援で隣村の小学校の高等部に入学、さらに高山市の斐太中学、岐阜市の岐阜中学、金沢の第四高等学校を経て東京帝国医科大学(現東大医学部)に進学、明治39年、同大学を卒業され、海軍軍医中尉となり、昭和4年海軍軍医少将に昇進し、退役するまで23年間奉職されました。

地方の山里の農家の子供が、当時最高の教育を受けることが出来た背景には親御さま始め一族の教育への熱意がございました。

今井氏のご尊父は昭和9年にお亡くなりになられましたが、「俺はなあ、今井家へ養子に来て、大切な山林田畑の大方を売ってしまった。先祖様に申し訳ないが、しかし国のため人のためになった『将軍様医者』をつくった。許してもらえるだろうな」と言ってこの世を去られたそうです。

このように明治人には、国家有為と思われる人材には、先祖が守ってきた山林田畑を全て失ってでも教育をつけ、国のため、国民のため捧げるという覚悟があったのだと思います。

今井氏は、中学、高等学校を一着の木綿袴で着通し、学費の節約を図り、その木綿袴は今井家の家宝として永く保管されていたといいます。

親御さまを始め一族が厳しい生活の中、教育費を捻出してくれた恩に応えるべく、今井氏は刻苦勉励し、国家国民のため使命を果たされました。

◆現代の篤志家の心意気

現在、幸福の科学グループでは、来年春の幸福の科学大学開学に向けて設立準備を進めております。また既に幸福の科学学園中学校・高等学校が関東と関西に一校ずつ開校しております。

これら開学、開校に当たっては、多くの人々が尊い寄付をされておられます。すでに運営されている中学校、高等学校には一定の寄付をした篤志家のお名前が銘板に刻まれ、子供達がその名前を日々見て勉学に励んでいます。

ご自分の子供や孫が通学していなくとも、多くの方が寄付を行っておられます。

学園の生徒たちは、常にそれらの人々への感謝を口にします。その感謝の思いは、ちょうど明治時代の今井氏と同じように、いや、今井氏の場合は、親御さん、親族が対象者でしたが、学園生の場合は、血縁関係を超えた多くの人々への恩に報いたいという感謝の心がエネルギーとなり、刻苦勉励し、多くの実績を出しています。

本来、公立の小・中・高等学校も市町村民や、県民の税金で支えられているわけですから、子供達にこのような素直な感謝の心が生まれてしかるべきだと思います。しかし、税金という形では、一人一人の納税者の期待の思いは全く子供達に届かなくなってしまいます。

ましてや、現行の高校授業料無償体制の中では、ますます納税者一人一人の思いは消されてしまい、「親が苦労して授業料を工面してくれた」という親御さんへの感謝さえも忘れ去られてしまうのではないかと危惧します。

高額納税者公示制度も2006年から廃止され、個人名、法人名、そういった個々人の努力、地域への貢献というものが全く見えなくなってしまった事は残念であります。

昨今の「公共が、社会が子供を育てる」という理屈はよしとしても、全く具体的な顔が見えない制度は、血が通うことがないと考えます。

幸福実現党は、小さな政府を目指し、減税を進め民間企業人が自由に使えるお金を増やして、寄付文化を育て、個々人の思いが例えば子供達に伝わるような制度設計を進めることも重要視しています。

ちなみに、幸福の科学学園、大学に寄付をされている篤志家は、同時に国民として納税の義務をりっぱに果たしておられる人々であることを付記しておきます。

加納 有輝彦

執筆者:加納 有輝彦

岐阜県本部政調会長

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