【前篇】「集団的自衛権」行使容認が必要な理由
文/茨城県本部副代表 中村幸樹
『抑止力』の観点
◆戦争と善悪の智慧
現在の日本にとって、安全保障上、最も脅威となっている国は中国です。
まず前提として、自国民にさえ信教や言論の自由を許さず、人権蹂躙、弾圧を繰り広げる中国が他国をも不幸に陥れる侵略戦争は悪であり、その横暴を防ぎ、人々の幸福を護ることは善であることを押さえたいと思います。
「侵略戦争に対する防衛の戦いも悪」であれば、「善悪を判断する智慧がない」「神仏の心がわからない」ということであり、悪への屈従や隷属、奴隷の平和になりかねないものです。
◆具体的シミュレーションによる「集団的自衛権」の考察
パラセル諸島やスプラトリー諸島に、威嚇、強制、実力行使を重ねる中国は、ベトナム、フィリピンに、本格的な侵略戦争を起こす可能性も考えられます。
この情勢を例にとって、なぜ、「集団的自衛権」の行使容認が必要なのかを説明いたします。
第一に『抑止力』の観点から、第二に『抑止が破れた場合の対処とその影響』の観点から、確認していきます。
『抑止力』とは、「達成が困難、又は許容できない代償(結果への恐怖)を予見させ、侵略を思い止まらせる力」です。
『抑止力』は、三つの要因、即ち、①「能力」、②その能力を行使する「意思」、③その能力と意思が相手に伝わり「認知」されること、で達成が可能となります。
◆日本が「集団的自衛権」を行使できる場合の『抑止力』
日本は、アメリカに対して、「ベトナムやフィリピンへの安全保障の使命と責任を果たして下さい。日本もアメリカと共にその正義の使命を遂行します。」と、アメリカの「意思」に対して、強い影響を与えることができるようになります。
中国は、アメリカの介入の「意思」を高く見積もり、日本の介入の「意思」も、「認知」せざるをえなくなります。
中国軍は、現時点では、米軍に対して、通常戦力も核戦力も全く歯が立たず、対自衛隊でも、通常戦力だけでは勝てません。量は多くとも、兵器と訓練の質が劣るからです。この「能力」差は、中国軍はかなり「認知」しています。
中国は、米軍と自衛隊の介入を想定することで、侵略意欲が大きく削がれることになります。
「集団的自衛権」の行使容認は、『抑止力』を格段に増大させ、中国の侵略を未然に防ぐ大きな力になるということです。
◆日本が「集団的自衛権」を行使できない場合の『抑止力』
世界の警察官から引きつつあるアメリカに対して、「日本は協力しないが、アメリカは他国への国際責任を果たしてほしい」では、説得力がありません。
日本の「集団的自衛権」行使不可は、アメリカの正義の介入「意思」を弱める方向に働きます。
中国は、日本の「能力」と「意思」は無視していいことになり、アメリカの介入「意思」が弱まる方向に、三戦(世論戦、心理戦、法律戦)を駆使し、機を見て侵略することを狙います。
「優位戦」とは、こちらが主導権を握って“戦場”を選び、攻めることも守ることも自在、戦いの手段、ルールから、勝利や敗北の定義まで決められる立場から仕掛ける戦いで、「劣後戦」はそれらのイニシアティブがない立場からの戦いを言います。
中国が「優位戦」をしやすく、日本と米国が「劣位戦」に陥りやすいため、『抑止力』が弱まる選択が、「集団的自衛権」行使不可です。
逆に、日本と米国が「優位戦」を展開しやすいため、中国が「劣後戦」に甘んじやすく、『抑止力』が強く働く選択が、「集団的自衛権」行使容認なのです。
次回は、『抑止が破れた場合の対処とその影響』の観点から述べてみたいと思います。
執筆者:中村こうき