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憲法9条は占領軍による「刀狩り」――自主憲法制定で「誇りある国家」へ

「自分の国は自分で守る」ことを禁ずる植民地憲法

参院選の最大の争点として「憲法改正」論議が盛り上がる中、憲法記念日である5月3日、幸福実現党は「全国一斉街宣活動」を行い、矢内筆勝党首や参院選候補予定者を先頭に、全国津々浦々で「憲法改正」を渾身の力で訴えました!

また、同日、矢内筆勝党首より声明「憲法記念日にあたって」が発表されました。⇒http://www.hr-party.jp/new/2013/37346.html

同声明で謳われている通り、国家の最大の使命とは、「国民の生命・安全・財産」を守ることに他なりません。

「諸国民の公正と信義」に身を委ね、国家が国民を守ることを放棄した日本国憲法の実態は、国家としての主権と責任を放棄した「植民地憲法」だと言えます。

憲法9条は「刀狩り」条項

日本国憲法は「日本国民の総意」に基づいてつくられたという建前になっていますが、同憲法は占領軍GHQの強烈な圧力によって押しつけられた「傀儡(かいらい)憲法」であることは明らかです。

日本国憲法は占領軍による「押しつけ憲法」であり、憲法9条とは、日本が二度と米国に刃向かうことのないようにする「刀狩り」条項であります。

5月3日、護憲派が集会や新聞広告等で「平和憲法を守ろう!」「憲法9条は人類の理想」と訴えていますが、憲法9条とはそのような崇高なる規範でも何でもなく、極めて狡猾な「日本弱体化のための占領政策」に他なりません。

現在に至るも、こうした陵辱に満ちた「日本国憲法」が存続しているということは、日本が未だ「植民地」から脱却していない「半主権国家」であることを意味しており、憲法9条の存在自体が私たち日本人にとって「屈辱」の証であるのです。

「国難」の元凶は日本人自身にあり

「奴隷の自由」という言葉があります。奴隷状態にある人は、ある意味で無責任でいられるため、自らを「自由」だと錯覚することがあります。

戦後、米国から守られ、自分の国を自分で守ろうとしなかった日本は、まさしく「奴隷の自由」を謳歌して来たと言えます。

しかし今、米国の退潮と時を同じくして、中国や北朝鮮による軍事的脅威が増しており、日本はまさしく「開戦前夜」とも言うべき、危急存亡の秋を迎えています。

この原因は、憲法改正を怠り、自主防衛を放棄して来た私たち日本人自身にあります。

本来であれば、1952年4月28日に日本が主権回復した瞬間に、日本国政府は自主憲法を制定すべきでした。

それをずるずると今日まで「占領軍憲法」を引きずって来たのは、歴代政権、政治家の不作為であり、それを許して来たのは私たち自身です。

日本に迫り来る「国難」の元凶は、戦後の日本人の怠慢と平和ボケにこそあるのです。

今こそ、自主憲法の制定を!

そもそも、憲法の英訳である「constitution」には、「国体」「政体」という意味もあります。

「憲法」とは「国体」であり、「国家のあり方」そのものであります。だからこそ、私たち日本人の手で日本の憲法がつくられるべきなのです。

言葉を換えれば、他国民の手で制定された憲法を奉じているということは、未だ「他国に占領されている」に等しいのです。

「自主憲法」制定は、戦後68年間も続いてきた「植民地」状態に終わりを告げ、「一人前の独立国家」になることを意味します。

今こそ、早急に憲法を改正し、国家が自国民を守ることができるようにならなければ、中国・北朝鮮の脅威から国民を守ることなど到底、不可能です。

幸福実現党は立党以来、「自主憲法制定」を力強く訴えておりますが、「戦後レジームからの脱却」「主権国家」への道は、「自主憲法の制定」という一点にかかっているのです。
(文責・幸福実現党政調会長 黒川白雲)

黒川 白雲

執筆者:黒川 白雲

前・政務調査会長

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