ふるさと、FUKUSHIMAの本心、ここにあり!
私は福島県人です。今、福島県では、風評から完全に自由になれないなかで、一日一日を送っておられる方もいれば、洗い流されて荒涼とした大地を復興させようと、一日一日を送られている方もおります。
そのように生活を一変させた元凶を自然の営みに求めるだけでは足りず、「原発事故」に帰着させるのはやむを得ないことではあります。
そうして、「原子力発電所」を単なる機械・モノとして見つめ、禍々しい元凶として結論づけるのも無理もないことです。
しかし、3.11の震災発生のその時、その瞬間に、東京電力福島第一原子力発電所に目を転ずれば、過酷な状況の下で、原子炉制御に命をかけていた方々がおりました。
その方々の極限の状況下での御活躍によって、我々の命が今、こうしてあることを忘れてはならないと思います。
3.11に東京電力福島第一原子力発電所で、命がけで原子炉制御に奮迅された方々には、その成否を問わず、彼らのその英雄的行為を讃え、「国民栄誉賞」を与えるべきだと考えます。
彼らの勇気を甲斐のない無駄なモノにしてはなりません。批判と軽蔑と憎悪の視線を向け、「罪人」のように結論づけてはなりません。責められるべきは、彼らではありません。むしろ、彼らは讃えられるべきなのです。
そして、同時に、日本政府は震災を発端として発生した原子力発電所の事故を「成功した失敗(successful failure)」「栄光ある失敗」として国内外に勇気をもって評すべきです。
既に事故が起きたことは事実ですし、その後の処理も続行中ではあります。
しかし、事故分析から、日本の原子力発電の技術力の高さが証明され、海外への輸出がかえって促進されるなど、肯定的検証も数多くあるにもかかわらず、それをハッキリと強く打ち出さないでいるために、福島県民をはじめ、日本国中が、不信と怒りと挫折と絶望、そして停滞から抜け出せないでいます。
さらに、その余波は世界にまで広がっています。
その原因は、いたずらに放射能に対する恐怖心を煽るマスコミにあります。
朝日新聞が7月25日付朝刊の1面トップで「10都県でストロンチウム 福島・宮城以外で初」として、放射能の恐怖を煽る印象操作を行っています。
一方で、この記事には「大気圏内核実験が盛んだった1960年代に国内で観測された最大値の60分の1程度」と書いているように、実は、60年代の日本人は全国的に大量の放射性物質を浴びているのです。
朝日は、あえて国名を伏せていますが、この核実験は中国によるもので、放出された放射線量はチェルノブイリ原発事故の800万倍にものぼり、それが黄砂に乗って日本に降り注ぎました。
中国の核実験によるストロンチウムは福島第一原発事故の1万倍の量にのぼっています。風にのって、黄砂として日本に降り注ぎ、そのときの放射性物質は、今も日本人の体内に蓄積されています。(7/25 Liberty Web「福島事故は中国核実験での日本人被曝の60分の1」)
政府は、今の「脱原発」に勝るとも劣らない勢いで、中国に対して抗議をすべきでしたし、併せて、大気圏内核実験による重篤な健康被害を受けていると思われる中国国民の人権侵害についても同様に抗議すべきです。
この件について、高田純教授(札幌医科大学教授放射線防護学)が『中国の核実験─シルクロードで発生した地表核爆発災害』等、様々な研究発表をしていますが、大手マスコミは、こうした事実を真摯にリサーチし、世に訴えようとしている知識人・活動家・専門家の声を隠ぺいして来ました。
本来、マスコミは「原発事故のストロンチウムは中国核実験時の60分の1で健康影響なし」と報道し、国民の無用な不安を払拭すべきです。
こうした空気や風評を作っているのは、マスコミのみならず、ものを言うべき人が言うべきことを言わないからです。
もの言うべき人。それは、政府であり、日本のトップリーダーが、勇気を持って安全性が確認された原発は再稼働し、国家の根幹であるエネルギーの確保をなすべきです。
こうした国家の危機の時、政治生命を懸けるべき時に、懸けられない政治家は、次期解散を最後に、二度と国会に戻ってこないで頂きたいと思います。
廃炉すべきものは廃炉にし、稼働すべきものは稼働させ、FUKUSHIMAを教訓に、世界でトップクラスの核開発を目指す日本の姿を示すべきです。
FUKUSHIMAは、巣立つ子の背を見つめる親鳥のような心地で、未来の希望に全てを託すのではないでしょうか。
そのような「ふるさと」の気概がFUKUSHIMAにはあると信じます。
ふるさと、FUKUSHIMA本心、ここにあり!
(文責・福島県第2選挙区支部長 酒井秀光(さかい・ひでみつ))