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浜岡原発住民投票条例案、静岡県議会が否決――住民投票の危険性

中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市の再稼働の是非を問う住民投票条例案を審議していた静岡県議会は11日、本会議で条例案を否決し、原発立地県で初めて直接請求された住民投票の実施が見送られました。(10/11 朝日「浜岡原発の住民投票条例案を否決 静岡県議会」)

市民団体は必要数を上回る16万5千人分の署名を集め、8月27日に県に条例制定を直接請求しましたが、静岡県議会は市民団体が作成した条例案には不備が多いこと等の理由により、本会議出席議員65人の全会一致で否決しました。

原発再稼働を巡る住民投票条例案としては大阪市議会、東京都議会に次ぐ否決となります。

柏崎刈羽原発の再稼働をめぐって新潟県で住民投票の動き等が出てくる等、静岡が前例となって、原発立地自治体に同様の動きが波及しかねないだけに、今回の静岡県議会の判断は賢明であったと言えます。

今回の静岡県の住民投票条例制定については、幸福実現党としても、地元・静岡県幹事長の中野雄太氏が「エネルギー政策に冷静で公平な議論を」で指摘している通り、反対の姿勢を貫いて参りました。

その理由は、(1)浜岡原発の再稼働は静岡県だけの問題ではなく、トヨタ自動車等の製造業を抱える中部地方全域に関わること、(2)原発の停止は「電気事業法」や「原子炉等規制法」に基づいて行われるべきあり、住民投票で止めることは法令違反であること、(3)エネルギー安全保障を揺るがすこと等によります。

また、今後、日本経済再建の中核となる、2027年に東京~名古屋間の開通が予定されているリニアモーターの運行のためにも浜岡原発の再稼働が不可欠であり、安全性が確認されれば、浜岡原発の再稼働を円滑に進めるべきです。

そもそも、原発やエネルギー政策といった国家の根本に関わる政策を一地方の住民投票で決めること自体が間違いです。

だからと言って、住民投票の範囲を広げ、中部地方全体、国家全体で国民投票を行うことも間違いです。

日本国憲法前文には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するとあるように、憲法上は、間接民主制が原則であり、住民投票などの直接民主制はあくまでも例外的な措置に過ぎません。

世界各国が「間接民主制」を取っている理由は、「多くの国民は、諸種の国政問題を判断し、処理するだけの政治的素養と時間的余裕とをもたないから、直接民主制を高度に実現することは妥当でもない。しかし、国民は、国政をみずから決することはできなくても、国政を担当するに適した者を選出する能力はある」からです。(清宮四郎『憲法Ⅰ』有斐閣より引用)

よりストレートに言うならば、「衆愚政治の防止」が間接民主制の最大の目的です。

すなわち、「地元の公民館を建て替えるか否か」といった地元の利害に関する住民投票ならいざしらず、エネルギー政策など、国家の根幹に関わる高度な政策決定は、住民投票などの直接民主制にはなじまないのです。

ウォルター・リップマンは著書『世論』の中で、民意支配の危険性について、「このような状況下で下される判断は、誰がもっとも大きな声をしているか、あるいはもっともうっとりするような声をしているかによって決まる」と述べています。

ミュージシャンの坂本龍一氏が原発集会で「たかが電気のために、この美しい日本の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」と語り、この美しい言葉に数万人の脱原発活動家らが酔い、熱狂したことが伝えられています。

まさしく、詩的表現、情緒的論調で国民が動かされ、「電気やエネルギーが国家や国民生活、国民の命を守っている」という理性的議論が全くできない空気の中で、住民投票で原発政策を決定することは極めて危険です。

こうした住民投票の運動が、オスプレイの配備や自衛隊基地・米軍基地の是非等、あらゆる争点に広がっていけば、左翼マスコミや左翼団体の意図するままに国家の根幹に関わる意思決定が操作され、国家解体へと向かっていきます。

今回、静岡県議会では話題にはなりませんでしたが、住民投票が国家の根幹を決めるエネルギー政策や国防・安全保障等になじまないことを重ねて訴えて参りたいと思います。
(文責・黒川白雲)

黒川 白雲

執筆者:黒川 白雲

前・政務調査会長

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