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アウン・サン・スー・チー氏の「民主化への不屈の精神」――最後は自由が勝つ!

ミャンマー民主化の闘士、アウン・サン・スー・チー氏は16日、1991年に受賞したノーベル平和賞の受賞演説の舞台に立ちました。当時は自宅軟禁で授賞式に参加できず、今回約21年ぶりに実現しました。(6/18 朝日「スー・チー氏がノーベル平和賞受賞演説、21年ぶりに実現」⇒http://goo.gl/N74e4

ミャンマー(1988年までは「ビルマ連邦社会主義共和国」と呼ばれる)は、1988年に民主化要求デモにより26年間続いた社会主義政権が崩壊しましたが、国軍がデモを鎮圧するとともに政権を掌握。軍事政権時代が続きました。

1990年には総選挙が実施され、スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、軍事政権は政権移譲を行わないばかりか、89年7月から通算15年にわたってスー・チー氏を自宅軟禁下に置きました。

今回、スー・チー氏にとっては24年ぶりの欧州訪問となり、オスロ市内での受賞演説では「ノーベル平和賞の受賞は、自宅軟禁で自由を奪われた私の心を開き、現実と向き合う力を与えてくれた」と話しました。

スー・チー氏は、母親の病気見舞いで帰国した1989年、多数の死者を出した民主化デモに遭遇し、旧ビルマ独立に命を捧げ、今も国民に敬愛されるアウン・サン氏の娘というカリスマも備え、国民民主連盟(NLD)の指導者に祭り上げられました。

当時は学生たちの民主化デモに軍が弾圧、無差別に発砲し、多くの命が奪われていました。僧侶も逮捕され、獄中で惨い拷問を受けていました。

スー・チー氏は、89年逮捕後から軟禁状態に置かれましたが、不屈の精神で民主化を目指し、その姿は弾圧に苦しむ国民の精神的支柱となりました。平和賞がミャンマーの民主化運動に世界の関心をひきつけたことは大きな成果だと思います。

ミャンマーは昨年3月に民政に移行しています。スーチー氏はミャンマーの状況を「前向きな変化が起き、民主化に向けたステップが取られている」としながらも「釈放されていない無名の囚人(政治犯)がたくさんいる」として、早期の釈放に向けて政権に圧力をかけるよう呼びかけています。(6/16 朝日⇒http://goo.gl/fak0l

世界は今後とも、ミャンマーの民主化の過程を見守っていく必要があります。

さて、圧政下にあって受賞式に出られなかったスー・チー氏の演説が実現したことを受け、やはり注目したいのは、2010年に受賞した獄中の中国の民主活動家の劉曉波(りゅう・ぎょうは)氏です。

当時の中国政府の「犯罪者への受賞だ!」という猛反発ぶりには世界中が驚きました。中国の圧力はひどく、授賞式を欠席する各国大使が続出するほどでした。もちろん劉氏の家族の出席も許されません。

さらに中国は対抗して「孔子平和賞」を創設し、ノルウェーとの自由貿易協定(FTA)交渉を打ち切りました。

そして、今月15日、中国共産党機関紙は「ノルウェーは傲慢さの代償を払え」と断じ、1年半たってもなお報復的措置を緩める気配はありません。もちろん今も劉氏は投獄されたままです。

中国においては、スー・チー氏の受賞演説も「劉氏を想起させかねないので報道は規制されている」ということです。

「アラブの春」やミャンマーをはじめ、各国の民主化への移行や変化に、世界のどの国よりも警戒感を強めているのが中国です。中国では、人権派弁護士や民主活動家に対する監視も強化しています。

スー・チー氏は「我々の究極の目的は誰もが自由で平和に暮らせる世界を作り上げること」と話しました。「自由を求める心」は国や言語を越えて共通します。肉体の死をもってしても守り抜きたいのが「自由」なのです。

中国や専制政治に苦しむ国の解放を願い、今こそ、自由を愛し、民主主義的価値観を共有する国どうしで協力を強化していくことが大事です。

最後は自由が勝つ!――そう確信する、スー・チー氏の受賞式でした。
(文責・竜の口法子)

竜の口 法子

執筆者:竜の口 法子

女性局長

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