ウクライナ戦争から学ぶべき二つの教訓、憲法9条改正と核装備【後編】
幸福実現党党首 釈量子
◆非核三原則見直しと核装備
前編では、日本がウクライナ戦争から得るべき、一つ目の教訓は、憲法9条改正が必要であることを述べました。
二点目の教訓は、「非核三原則」の見直しと核装備です。
ソ連邦崩壊後、ウクライナは核保有国でしたが、1994年に米国とロシアとの間で「ブタペスト覚書」に合意し、全ての核兵器を放棄することを決めました。
もしウクライナが核放棄せずに、核兵器を保有していれば、今回のようなことは起きなかったかもしれないと言われています。
ウクライナ戦争を機に、日本でも「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を見直し、米国との核シェアリングが必要ではないかという議論が出てきました。
しかし、日本が核シェアリングするには、粘り強い外交交渉が必要です。
国連の常任理事国は全て核保有国です。しかし、米国は自分の核抑止力は強化するけれども同盟国や他の国に核を持たせないのが基本方針です。
日本と同じ敗戦国であったドイツが米国と核を共有することで、核抑止力を保っています。
◆ドイツの核シェアリング
1964年中国が初の核実験を行った後、1968年に米国のジョンソン政権は核保有国が広まるのを警戒し、一気に「核不拡散条約NPT」に舵を切ります。
要するに、米国の同盟国である西ドイツや日本には核を持たせないで、「核の傘」で守ることにしました。
ところが米ソ冷戦時代の最中、米国はソ連との最前線にある西ドイツに大量の核を持ち込んでいました。
当時、西ドイツのクルト・キージンガー政権は何とか核使用への関与を強めるために、西ドイツ領内から核を使う場合、西ドイツの意見を聞くよう粘り強く交渉しました。
その結果、西ドイツと米国は核の運用を共同管理する「核シェアリング」が成立したわけです。ドイツの核シェアリングの背景には、粘り強い外交交渉があったわけです。
冒頭申し上げた通り、現在の日本の状況は、冷戦期の西ドイツ以上に厳しいものです。
◆核シェアリングを否定した岸田首相
岸田首相は3月上旬、非核三原則に反するので「核シェアリングは認められない」と即座に否定しました。
核シェアリングに至るまでには、まず「核を積んだ米海軍艦艇の日本寄港を認めるか」という問題があります。
「核を持ち込ませず」に反するので、大議論になると思いますが、議論を前に進めていく必要があります。
日本が核シェアリング導入に成功した場合でも、核を使用するかどうかの最後の判断を、日本がするのか、米国がするのかという問題が残ります。
米国に最終判断を委ねた場合、米国は報復を恐れて、躊躇するかもしれません。やはり、最終的には、日本は主権国家として自前の核装備をすることが必要なのです。
◆米国の「核の傘」では日本を守れない
戦後日本の平和は日米安全保障条約によって守られ、その中核に「米国の核の傘」があったのは事実です。
しかし、「米国はワシントンを犠牲にしてまで、核兵器を撃ってくれるのか」という疑問が残っています。
日米安全保障条約の中には、「日本が核攻撃を受けたら、米国が核兵器で報復する」という文言は一言も書かれていません。
例えば、「北朝鮮が日本に核攻撃したら、米国が核で報復する」という見込みがあれば、核の抑止力が成立します。
しかし、北朝鮮はすでに米国本土に到達可能な大陸間弾道ミサイルを保有し、さらに迎撃の難しい極超音速ミサイルを開発しています。中国やロシアも同じです。
ワシントンを危険に曝すことはできないので、米国の大統領次第で、核を使用しないという判断もあり得るわけです。その場合、北朝鮮は日本に核攻撃する可能性が出てきます。
広島的世界平和主義が限界を迎えた今、核なき国ではなく、核を落とさせない国を目指すべきです。
日本は戦後のマスコミや教育がタブー視してきた憲法9条や非核三原則の問題に踏み込み、「自分の国は自分で守る」体制を構築すべきです。
主権国家として「奴隷の平和」ではなく、「正義のある平和」を実現しなくてはなりません。