核抑止力の必要性
文/HS政経塾5期生 水野善丈(みずの よしひろ)
◆国際社会における核保有国の立場
先月5月23日、5年に1度行われる核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書に合意されず閉幕しました。
イランやアラブ諸国が強く主張していた「中東地域の非核化」問題での合意が成立しないだけでなく、「核禁止条約」構想も同文書より削除されました。
日本においては、広島・長崎が求めていた被爆地訪問も中国の反発で盛り込まれない結果に終わりました。
日本は非核保有国の中でも、唯一の被爆国として広島・長崎を中心に核兵器廃絶を訴えてきてはいるものの、核なき国際社会を実現するのは困難であるのが現実です。
なぜなら、日本自身もアメリカの「核の傘下」に守られているように、核兵器を持つことで自国や同盟国を安定的に守ることができ、それゆえ核保有国にとっては国際社会における発言力を増すものとなっているためであるからです。
◆核保有を背景に覇権を拡大する中国
現在の中国や北朝鮮を見るにつけても、日本やアメリカに対して発言力を増している背景には、明らかに核兵器を保有していることが発言力に繋がっていると言えます。
特に中国は、アメリカの財政悪化による軍事費の削減が続く中、軍事支出をこの20年間で22倍にも増やし、国防とは考えられないほどの軍事拡大も強めています。
また、近年では「一帯一路」構想を提唱しているように、ユーラシア大陸すべてに覇権拡大を狙っており、その勢いは世界各国を中国の傘下に置こうとしているようにも見えます。
現在の中国は、20年前には考えられないような大国となっており、経済成長とともに軍事力を増強し、核兵器を保持することにより国際社会においても存在感を強めています。
◆共産主義圏が核兵器を持つ怖さ
また、自由主義圏が持っている核兵器と共産主義圏が持っている核兵器とでは、意味あいが少し違うということも認識する必要があります。
自由主義圏の核兵器の使用に関しては、国民の世論によるチェックが効き、さらには国際世論によるチェックも効くため、核実験すら行うには厳しい目が向けられ核兵器使用の抑止となっています。
実際に過去フランスで核実験が行われた際は、国際社会に予告もされ、それに対して国際世論から非常に非難を受けています。
自由主義圏では、核に関して、こうした透明性があるのです。
しかし一方で、共産主義圏である中国は、国家主導で情報遮断が行われ、国内においては言論の自由、出版の自由など国民の自由が制限されているので、国民が戦争や核兵器に反対することができません。
このように共産主義圏では核兵器の透明性は皆無に近いのです。
実際に、中国は1995年5月のNPTの無期限延長に署名をした数日後に、新型の核弾頭の実験を行い、自国のアジア・太平洋における力を誇示させ国際社会を驚かせました。
同様に独裁国家である北朝鮮も本年2015年、日本海に向けてのミサイル発射を行っており、日本やアメリカに向けて脅威を示しています。
これをみても独裁者の一声で核実験やミサイル発射が行われる中国・北朝鮮が核兵器を持つことは、自由主義圏が核兵器を持つことよりも一層恐ろしいことを認識する必要があるでしょう。
◆日米同盟強化だけで日本は安全といえるのか
現在、中国のアジア・太平洋における覇権拡大に備え、安倍政権では安保法制の見直しがなされ日米同盟は強化されています。
しかし、2020年代になると中国の実質経済規模と軍事予算規模はアメリカを凌駕し、世界一の規模になると予想されています。
もし中国の経済力・軍事力が世界一になったときに、アメリカが日本を守ってくれるか保障はありません。
米政治学者のミアシャイマー教授も著書で「中国の経済規模がアメリカよりも大きくなれば、中国は巨大な軍事能力を獲得し、アメリカに対して数多くの屈辱を与える能力を持つ国になる」と分析しています。
中国がアメリカを超えるパワーを持ったとき、日本人の命を守るためアメリカ人が犠牲になることはまずないと考えられます。
つまり、現在進めている日米同盟強化は重要なことではありますが、それで日本の防衛が十分であるかは別の話であるということなのです。
◆日本は精神的脱藩し自主防衛体制を整えるべき
アメリカの「核の傘」で守られてきた日本でありましたが、これからは真剣に「自分の国は自分で守る」ということを考えていかなければいけません。
日米同盟を堅持しつつも、中国・北朝鮮の核兵器の恫喝に屈しないため必要最小限の自衛能力として「自主的な核抑止力」も持つべきであるでしょう。
しかし、この核兵器の保有の議論は長らくアメリカや日本国内における反発により進んでこなかったのです。
こうした現実に則した国防の議論を進めていくためにも、アメリカに頼りっぱなしの精神、そして、戦後70年間、日本国民が持ち続けてきた自虐史観から精神的脱藩をしなければならないときが来ているのではないでしょうか。