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日本の海上防衛を考える(4)――中国の海洋戦略

文/幸福実現党・政務調査会 佐々木勝浩

前回まで小笠原諸島・伊豆諸島周辺海域に現れた中国漁船が九州にも現れていること、そして日本ばかりでなく韓国やパラオにまで現れていることを紹介してきました。

今回は、中国漁船は南シナ海では1970年代から現れており、その後南シナ海はどうなったのかについて明らかにします。

南シナ海ですでに起こっていることは、今後東シナ海で起こることでもあるので、それを知っていれば、中国から日本の近海の近海をどのように守っていけばいいかがわかります。

◆密漁天国の日本近海

日本という国は、違法操業して捕まっても簡単に釈放してくれ、万が一、海上保安庁の船に捕まっても食事つきで飛行機に乗せて中国に帰してくれる――そうした前例を民主党政権時につくってしまいました。

中国漁民からすれば日本は、密漁しても最悪であっても罰金を払えば釈放してくれる国です。

サンゴで大儲けができるとなれば、日本の領海であろうが構わずに違法操業して、まったく罪の意識さえありません。まさに中国にとって日本近海は密漁天国です。

しかし中国政府自体は、さらにその先のことを考えています。中国の最終的な目的は、東シナ海、西太平洋を中国の海にすることです。

中国は海洋戦略として南シナ海と東シナ海、西太平洋を2020年までに中国の海にする戦略を持っています。

その中国の戦略が一歩先に進んでいるのが南シナ海です。ですから南シナ海で起こったことをみれば、今後東シナ海と西太平洋で起こることが予測できます。

南シナ海で起こったことが、今後日本の近海でも起こるでしょう。

◆南シナ海は如何に中国の海になったのか

すでに南シナ海では、ベトナム近海やフィリピン近海は中国の海になっています。

中国も頭が良いですから、始めから軍艦を出してその海域を支配することはしません。

1970年代、ベトナム戦争が終わって米軍が南シナ海から引き揚げると、中国はそれまでベトナムが領有を主張してきた南シナ海の西沙諸島海域に中国漁船を出すようになりました。

中国は毛沢東時代から農民や漁民を兵隊として訓練し国防を強化してきました。ですから中国の漁民もただの漁民ではなく軍事訓練を受けた「海上民兵」が含まれています。

ベトナムやフィリピンが領有していた海域に中国漁船が現れるとベトナムは中国漁船にベトナム海域から立ち去るよう警告を出しました。

もちろん中国漁船が立ち去ることはありません。そこでベトナムの船と中国漁船とぶつかり合いが起きました。

その段階で中国は中国漁民を守るという名目で軍艦を出しました。こうしてそれまでベトナムが領有していた海域を力で支配し、さらには島や岩礁を埋め立て軍事基地化していきました。

また島でない満潮時には海面から沈んでしまう岩礁までコンクリートで固め、島だとして200海里まで主張し始めたのです。もちろんこれは国際海洋法違反です。

◆フィリピン海域まで中国の海に

同じような方法で、1980年代に入ると、フィリピンから米軍基地が撤退すると、それまで南シナ海の中沙諸島、南沙諸島に中国漁船が現れ、岩礁を占拠し、その後軍事基地化していきます。

小島や岩礁に砂を運んで島にしてコンクリートで固め軍事滑走路までつくる中国の暴挙は、昨年の2014年でも続いています。

もちろんフィリピンも海軍を派遣して抵抗していますが、力に任せて中国はまったくテーブルの交渉でも聞く耳も持ちません。

ちなみにフィリピンの米軍基地撤退運動で一定の活動を展開したのはフィリピンに住む中華系住民とも言われています。

ここまで見ていくと、沖縄から米軍が撤退した場合、尖閣諸島や沖縄がどうなるかはお分かりになるでしょう。だから日米同盟を強化し沖縄県から米軍基地撤退させてはいけないのです。

しかし沖縄のマスコミは、米軍の犯罪を大きく取り上げ反米感情を煽る報道を続けています。このうらには沖縄県民と米軍を離反させる工作が働いているのです。

沖縄県民が反米感情をもって「米軍出て行け」という声が高まればどこの国が喜ぶか、ここまで書けば分かるでしょう。

◆南シナ海を一方的に「三沙市」にした中国

南シナ海は、中国が支配する海になり、現在中国は、ベトナムとフィリピンの主張も無視して勝手に南シナ海の西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島(南シナ海のほぼ全域)に「三沙市」と名付けて自分の海にしまいました。

同じような手法で中国は現在、東シナ海や西太平洋を中国の海にしようとする手を打っています。この点について次回詳しく見ていきたいと思います。(つづく)

佐々木 勝浩

執筆者:佐々木 勝浩

幸福実現党 広報本部スタッフ

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