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「南京大虐殺」の虚構――南京攻略後の松井石根大将

文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩

◆歴史問題を言い続ける中国

「南京大虐殺」の虚構――南京攻略の経過

http://hrp-newsfile.jp/2014/1589/

上記の「ニュースファイル」で日本がなぜ南京まで進軍して蒋介石の国民党軍と戦ったのか、その「南京戦」の経過について紹介しました。

注意すべき点は、日本軍が戦ったのは、現在の「中国共産党政府」ではなく、蒋介石が率いる「国民党軍」であったという点です。ですから現在の中国共産党政府が、「日本軍が30万人の大虐殺」を行ったということもおかしな話です。

現在の中国政府が、「日本軍は大虐殺をやった。だから謝れ」というには理由があります。それは、江沢民元国家主席の国家戦略です。

江沢民は在任中の1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上でこのように述べています。

「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」(江沢民著『江沢民文選』より)

つまり、江沢民は、経済支援を日本から引き出す外交圧力カードとして「歴史問題」を位置付けたのです。ですからいわゆる「南京大虐殺」を中国が持ち出すようになったのは江沢民の時代からです。

さて、話を戻して今回は、その後の日本軍の行動について取り上げ、南京入城から終戦後の松井大将について取り上げたいと思います。

◆日本軍の南京入城

昭和12年12月13日、南京が陥落した後、17日に日本軍は、中山門から松井石根大将を迎えて日本軍は入城式を行いました。

松井大将は南京城内の北西部に司令部を設け4日間、南京にとどまりましたが、12月21日、下関から船に乗って上海に戻りました。その後日本軍は、上海、南京を抑え、国民党軍のもう一つの要所であった杭州を攻め、これも簡単に攻略してしまいます。

こうして日本軍は、中支那方面軍は上海に、上海派遣軍は南京に、第10軍は杭州に司令部を置き、国民党の要所であった上海・南京。杭州をすべて抑えました。

これで日本軍は蒋介石が手を上げるだろうと判断し、仕上げとしてドイツ大使に仲介役をやってもらい日本と国民党政府との和平を進めようとしました。

ところが、結局ドイツ大使の仲介による和平工作は、年が明けた昭和13年1月2月になっても進展せず、蒋介石も降伏をしませんでした。

当時、日本軍は北京にも軍隊を送っており、また南京を攻撃するために内地からたくさんの部隊を送ったため、日本国内が手薄になっていました。

日本はソ連に対しても備える必要がありこれ以上、中国で戦線を広げることはできないという判断を昭和13年の1月にしたのです。それで、上海、南京、杭州にいる、3つの軍を復員させ部隊を減らすという方針を決めました。それで2月の下旬に松井大将も復員しました。

◆終戦後、出てきた南京事件

この段階で軍規も厳しく指導した松井大将が南京で「虐殺事件」が起きたことなど認識もしていませんでした。松井大将が「虐殺」を知ったのは、それから8年経った昭和20年の終戦直後です。

終戦直後、アメリカの占領軍は「太平洋戦争史」というアメリカから見た戦争を発表しました。アメリカは、戦勝国である立場から日本を悪者に仕立て上げる必要があります。

それが昭和12年、日本軍が南京を攻略したとき、殺人、強盗、暴行をやったという新聞記事になったのです。それを見て松井大将が驚いたのは言うまでもありません。

松井大将は当時、日記をつけていました。松井大将はあらためて昭和12年、8年前の日記を見ましたけど、そこでそういうことは当然、全然書いてありません。当時松井大将は、虐殺事件があったという報告も受けていませんでした。

蛇足ですが、その松井大将の日記が昭和の50年代に松井大将のご自宅の天井裏から出てきたのです。

私は松井大将の秘書をされていた田中正明氏から昭和57年に、その日記の現物を手に取って見せていただいたことがあります。日記には南京の入城式の様子も書いてあったのを覚えています。

松井大将からすれば自分の当時の日記が占領軍の手に渡れば、「南京の真相」が消されてしまうと判断し天井裏に隠したのかもしれません。

さて昭和21年に東京裁判が開かれましたが、東條英機元首相などが戦争犯罪者として次々に逮捕されました。しかし、南京の大虐殺を言っていたのはアメリカと中国くらいで世界はまったく知りません。

大虐殺などもともとないのですから、世界が知らないのは当然です。ですから連合国側にも松井大将が訴えるのはどうかという意見もあったようです。

しかし結局、松井大将は最終的に逮捕されるわけです。松井大将は逮捕され東京裁判で「南京事件」が裁かれることになったわけです。

次回、東京裁判を中心に南京の真相にさらに迫って参ります。(つづく)

佐々木 勝浩

執筆者:佐々木 勝浩

幸福実現党 広報本部スタッフ

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