このエントリーをはてなブックマークに追加

沖縄名護市長選・東京都知事選――地方選挙で日本の未来は決められない!

文/HS政経塾1期生  湊 侑子

◆辺野古移設を行うことはできるのか

本日は、沖縄名護市の市長選投開票日です。

現職で共産、生活、社民、沖縄社大が推薦する稲嶺氏が先行、無所属で自民推薦の末松氏が追いかける形になっています。(1/17 産経新聞「稲嶺氏先行 末松氏が猛追」)

一般的にメディアにおいて「先行」という言葉が使われる場合、支持率が10%以上離れていることを指すようですので、辺野古基地への移設賛成派は、苦しい立場に立たされていることが分かります。

現職市長は、辺野古基地移設反対をアピール。陣営には、沖縄だけでなく県外から共産党関係者や基地移設反対の活動家が集まっています。

◆左翼活動家の実体

彼らは、平日の朝6時から8時、普天間基地の前では通勤する海兵隊に向って、「MARINES OUT(海兵隊はでていけ!)」と罵声を浴びせています。

朝6時からメガホンや拡声器を使ったヘイトスピーチに住民も大変迷惑しており、「オスプレイよりも活動家の方がうるさい」いう苦情が出るのも当然です。

また、辺野古埋立予定地には基地移設に反対して不法に建てられたテントがあります。区民は全員の総意で撤去を願っており、テント撤去に関して署名活動も行いましたが叶わず、困っている状態です。

参考:TheFACT【沖縄・名護市長選】直撃取材!「民意」を名乗る反基地運動にダマされるな! 

◆沖縄は活動家の最後の聖地になっている

事実を報道せず、名護市民が全員辺野古移設に反対するかのような報道を行う既存のマスコミに名護市民も大変迷惑しています。

民主党政権時代、私も実際に現地に行き、テントにいる人に話を聞いたことがあります。

その頃、彼らは辺野古に“じゅごん”がいるという理由で移設反対を唱えていましたが、話を進めていくなかで、「結局じゅごんがいてもいなくてもいいんだよ、移設さえ阻止できればそれでいい」という回答を得ました。

沖縄の人が望んでいる平和や安全を願う純粋な気持ちを利用して、本土では実現できなかった反政府・反日運動を展開する左翼活動家に強い怒りを覚えざるを得ません。

◆沖縄県名護市長選で、市民の民意は明らかになるのか

地元住民は、合併前の久志村の頃から、基地誘致運動を行っていました。基地移設を前提として、交付金も支給されていました。少なくとも辺野古周辺の住民の民意は明らかに無視しているといえます。

そもそも、普天間基地の辺野古移転については、1996年の日米首脳会議の折に合意がなされています。昨年末には沖縄県知事も、埋め立てを許可しています。県や国だけでなく、国家間で既に合意がなされているのです。

稲嶺市長は「駄目なものは駄目と日米両政府に見せつけよう」と基地移設を拒んでいます。

市長権限で辺野古移設を阻止する考えでありましょうが、これは自身の特定の意志に基づいた主観的な判断であり、職権乱用につながると判断されます。

民主党政権に取って代わられてから迷走を続けた普天間移設問題に終止符を打つために、自民党の安倍首相以下の政府高官は、名護市長選の結果に関わらず、政治生命をかけて移設を進める策を推し進めるべきであります。

◆細川氏は東京都知事選にふさわしくない

現在76歳の細川護熙元首相は都知事選に立候補を表明しておりますが、公約発表を2度も延期したり、2020年の東京オリンピック辞退論を披露したりと、あまりの無責任ぶりに、立候補取りやめを示唆する声も出始めております。

自身がたった9か月で首相辞任をする原因となった1億円献金問題も、様々な矛盾が未だに解決しておらず、日本の首都を任せるに値する人物であるとは到底考えられません。

東京都民1300万人を超えて、日本国民の生命と未来を左右するエネルギー問題に関して、代替案を示すことなく「脱原発」の一点張りを主張することも理解に苦しみます。

晩節を汚すことなく、陶芸家として残りの人生を穏やかに過ごされることを望みます。
参考:The Fact 「殿、ご乱心!細川元首相が立候補すべきでなかった2つの理由」  

 

◆日本の未来は、地方選挙で決められない

稲嶺名護市長が反対する辺野古移設は、住民投票で決められるものではありません。沖縄の米軍基地は日本だけでなく、東アジアの防衛基地であり、中国・北朝鮮に対する安全保障の要です。

同様に、エネルギー政策も地方自治が扱うべきものではありません。日本の方向性を決めるのは、国会議員であり、最後は首相です。

各地域の住民の皆さまが正しい判断を下されることを祈りつつも、首相は強い決意のもと、国益を増進させる方向に日本を導いていかねばなりません。

私たち幸福実現党も、精進を積み重ねてゆきたいと思います。

みなと 侑子

執筆者:みなと 侑子

HS政経塾1期卒塾生

page top