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日本よ、主権国家たれ!

「主権回復の日」の意義

政府は、1952年4月28日サンフランシスコ講和条約が発効した「主権回復の日」に当たるとして、4月28日に政府主催の式典を開くことを閣議決定しました。(3/12 産経「主権回復の日式典、4月28日開催を閣議決定」)

1945年8月14日、日本は「ポツダム宣言」の受諾を連合国に通告、8月15日「終戦の詔書」が玉音放送により国民に伝えられ、終戦を迎えました。

正式には9月2日、戦艦ミズーリ号の船上で連合国との間で降伏文書に調印し、連合国の占領下に入ることとなりました。

その後、7年に及ぶ占領を経て、サンフランシスコ講和条約(正式名:「日本国との平和条約」1951年9月8日)に調印し、1952年4月28日に発効され、日本国は正式に国家としての全権を回復しました。

アメリカ合衆国では、1776年7月4日に独立宣言が公布されたことを記念して、毎年7月4日を祝日として祝い、建国の志を新たに愛国心の発揚がなされています。

「主権回復の日」は、日本再建の原点にあった「国家の主権を取り戻す」という歴史的意義を振り返ると共に、日本国の主権を守り続けていく不断の努力を決意する大切な節目です。

しかし、「主権回復の日」式典に対して、沖縄県内では大きな反発が巻き起こっています。(3/29 琉球新報「主権回復の日、32首長『式典反対』本紙調査、開催賛成はゼロ」)

1952年4月28日サンフランシスコ講和条約が発効し、本土は主権回復して以降も、沖縄では20年間もアメリカの占領が続いたことから、沖縄にとっては「主権回復の日」ではなく、「屈辱の日」とされています。

このように様々な意見がありますが、「主権回復の日」は、主権の回復とは何なのか、日本は本当に独立国としての主権を回復しているのかを考える大切な機会であると思います。

日本は主権を守り抜くことができるのか?

2012年11月14日、中国・韓国・ロシアによる「東アジアにおける安全保障と協力」会議が開かれ、席上、中国外務省付属国際問題研究所のゴ・シャンガン副所長は「日本の領土は北海道、本州、四国、九州4島に限られており、北方領土、竹島、尖閣諸島にくわえて沖縄も放棄すべきだ」と公式に演説しました。

そのためには、中国、ロシア、韓国が「反日統一共同戦線」を組んで、サンフランシスコ講和条約に代わって日本の領土を縮小する新たな講和条約を制定しなければいけないと提案しています。(2012/11/15 ロシアの声「反日統一共同戦線を呼びかける中国」)

日本政府は即座に自国の領土を明確に実効支配して施政下に置かなければ、このまま領土を失うことになります。

日本よ、主権国家たれ!

「主権」とは、他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利です。

日本のために命を捧げられた先人への感謝と敬意を表すべく、国家のトップである首相が靖国参拝することなくして、国民の間に、日本の主権を守る愛国心は育ちません。

また、教科書の近隣諸国条項により、中国・韓国の横槍により、日本人の教科書が書き換えられる状態にあることも異常です。

さらに、拉致問題を解決する軍事力を持たず外交は成り立ちません。自国民が拉致され、救出もせずに見殺し続けて、本当に「主権国家」と言えるのでしょうか。

このような日本の現状を見る限り、「独立国家」としての主権を回復しているとは言い難く、いまだ植民地支配が続く「半主権国家」「隷属国家」の様相を呈しています。

「主権国家」を存立させる観点から見れば、憲法9条の思想そのものが、占領軍の植民地思想を背景としています。

安倍首相は本当に主権回復を記念するのであれば、自主憲法の制定、自衛軍の創設、教科書近隣諸国条項の撤廃を断行し、真の意味で「日本独立宣言」を行うべきです。

そして、参院選において、各党は「憲法改正」を争点として、主権国家のあるべき姿を論じるべきです。(文責・三重県参議院選挙区代表 小川俊介)

小川 俊介

執筆者:小川 俊介

幸福実現党 三重県本部参議院選挙区代表

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