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毛沢東「一つの中国」要求で裏切らなかった米国、見捨てた日本【前編】

https://youtu.be/FWRjyoFs5Xk

幸福実現党外務局長 及川幸久

◆これまでの振り返り

前回と前々回に続いて台湾と日本との関係について考えて参ります。

今、台湾が中国の軍事的圧力にさらされていていますが、「台湾のために日本がすべきこと」を考えてみたいと思います。

前々回では、「日本には台湾を守る責任がある」ということを取り上げました。

■日本には台湾を守る責任があるこれだけの理由

https://youtu.be/ERutq13kyco

そして前回では、台湾を守るための方法として「台湾地位未定論」から考えてみました。

■台湾の未来を変える方法を考える

https://youtu.be/VH4glK1yFfY

台湾地位未定論とは、台湾は、中華人民共和国の領土でも、中華民国の領土ではなく、戦後の混乱期の中で台湾の主権が、どこにあるのか国際法的には未定であるという考え方です。

この考え方に基づけば「台湾の帰属は台湾人が決定すべきである」ということです。

その中で、台湾を中国共産党から守るためにどんなことができるのか、アメリカの法律である「台湾関係法」という法律を例に考えてみます。

◆ニクソン訪中の二つの目的

アメリカも日本も、現時点では中国と国交を正式に結んでおり、台湾、中華民国とは国交を結んでいません。アメリカは台湾と断交して中国と国交正常化しましたが、しかし台湾を切り捨てたわけではありませんでした。

1972年2月、ニクソン訪中は世界に衝撃を与えました。当時は米ソ冷戦時代でしたが、本来なら同じ共産圏の側であったソ連と中国も対立し始めていました。

そこでアメリカとしては、対ソ戦略として中ソを離間させ、中国を西側に引き込もうとしたわけです。これがニクソン訪中の目的です。

ニクソン訪中のもう一つの目的は、大統領選挙で公約したベトナム戦争の終結です。そのためには北ベトナムを支援し強い影響力を持っていた中国との国交がどうしても必要だったのです。

◆アメリカ版「台湾関係法」の背景

ニクソン訪中を受け入れた中国側の毛沢東は要求を出してきました。それが一つの中国です。

当時は、中国共産党による中華人民共和国と台湾にある中華民国の2つの中国がありました。台湾はあくまでも中国の一部だと要求してきたわけです。

これに対してニクソン政権は、台湾を切り捨てるわけにはいかないと拒否しました。自由と民主主義というアメリカと同じ価値観を共有している台湾を切り捨てるわけにはいかなかったわけです。

当時、国務長官をやっていたヘンリー・キッシンジャーは、「一つの中国」という毛沢東の要求に対して、「認識(Acknowledge)」します。ただそれを100%受け入れる訳ではありませんでした。

中国と国交を結ぶためには台湾と国交を絶たなければいけない。それをする代わりに台湾との関係はアメリカの国内法で定めるという、まさに苦肉の策をキッシンジャーは進めました。

ヘンリー・キッシンジャーが国務長官をやっていたのは、1972年から1977年までですが、これが最終的に実現したのが1979年のカーター政権の時です。

その時にできた法律が「台湾関係法」です。この時1979年にアメリカは中国との国交回復を実現するわけですが、ニクソン訪中からなんと7年かかっているのです。

アメリカは、最終的に「台湾関係法」によって、台湾との関係も切らずに維持しているわけです。

「台湾関係法」では、台湾との正式な国交はないが、国家に準ずる存在とすること。アメリカが台湾、中華民国と過去を結んだ条約はすべて維持すること。そして重要なことは台湾の安全は引き続きアメリカが守るため、防衛のための兵器をアメリカが台湾に輸出すると定めています。

7年間かけて中国と交渉し台湾との話を進めて、アメリカは今の台湾関係をつくったわけです。

(後編につづく)

及川幸久

執筆者:及川幸久

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