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出生前診断の実施に国が関与 旧優生保護法の過ちを繰り返してはならない

http://hrp-newsfile.jp/2021/4051/

幸福実現党政務調査会長代理  小川佳世子

◆22年ぶりの方針転換

妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる「新型出生前診断」について、すべての妊婦に情報提供をするとともに、国が施設の認証にかかわる方針を明らかにしました。

具体的には、妊婦検診の際に、すべての妊婦にリーフレットを配布し、関心を持った人には保健師などがより詳しく説明するという方法が検討されています。

出生前診断については、日本産婦人科学会が、「原則35歳以上の高齢出産を対象とし、遺伝の専門家や小児科医がいる施設において、講義やカウンセリングを実施した上で行う」などの条件を定めていました。

障害を負って生まれる可能性が高い胎児を中絶するなど「命の選別」につながりかねないため、検査のハードルを高くしていたのです。

ただ、その結果、産婦人科学会のガイドラインに従わない認可外施設で検査を受ける人が急増してしまいました。

検査を受けた妊婦を対象にした調査によれば、51%が無認定施設で検査を受けたと回答。産婦人科学会が原則として検査を認めていない34歳以下では、70%に達しています。

厚生労働省は1999年に「(出生前診断は)胎児に疾患がある可能性を確率で示すものに過ぎないことから、医師は妊婦に対し本検査の情報を知らせる必要はなく、本検査を勧めるべきでもない」という見解を出しています。(厚生省児童家庭局長名による通知)

今回の国の方針は、22年ぶりの方針転換であり、異例のことといえます。

◆国が「お墨付き」を与えないか

安易に検査が受けられる認可外施設が増えることも問題ですが、国が「出生前診断」の情報提供をすることも、この検査に「お墨付き」を与えかねず、問題があるといえます。

現在、日本で出生前診断を受けているのは、全妊婦の3%程度といわれています。

国はあくまで正確な情報を提供するという趣旨とのことですが、検査の情報を提供されれば、検査を受ける人や「命の選別」が行われる機会も増えてしまうでしょう。

出生前診断に賛成する人の中には「障害を持つ可能性があると知ることができれば、準備ができる」と主張する人もいます。

しかし、たいていの人は子供が障害を背負って生まれてくるかもしれないと思えば、中絶を考えるでしょう。

実際、2013年4月から2017年9月までの約4年半の間に、5万人を超える妊婦が出生前診断を受けました。

ダウン症などの障害を負って生まれてくる可能性の高い染色体異常と判定された人は933人で、その内907人が中絶を選択したと報告されています。約97%の人が人工妊娠中絶を選択したわけです。

各家庭にはさまざまに事情はあるでしょう。ただ、実際にこれから生まれようとする命を人の手で奪うということには変わりはありません。

◆旧優生保護法と思想は同じでは?

戦後まもなく制定され1996年まで続いた「優生保護法」という法律があります。

遺伝病を持つ人や障害者に不妊手術を強制し、子供を産めないようにすることを認めた法律です。

第一条には「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と書かれています。

この根底には、肉体的、精神的に優れた子孫を残し、劣った遺伝子を持つ子孫を生まないようにしようという「優生思想」があります。

障害者やユダヤ人を収容所に送り込んで虐殺した、ナチス・ドイツも、これと同様の思想を持っていました。

出生前診断の検査結果に基づく中絶を行うことは、こうした思想と通じるものがあります。

障害を持つ人に望まない不妊手術を行うことと、生まれる前に中絶することを同列に論じることに抵抗を持つ人もいらっしゃるでしょう。

ただ、両者の違いは技術の進歩による違いであり、「障害を持つことは不幸」という思想は共通しているように思われます。

もちろん現行法は、こうした思想を肯定してはいません。

「母体保護法」では「障害を持って生まれる可能性が高いから」といった理由での中絶は認められず、「母体の健康に影響がある」「経済的な理由がある」などの条件がある場合のみ中絶が許されています。

とはいえ、政府が検査情報を広く提供することで、検査結果によって中絶が選択されるケースが増えれば、「優生思想」の後押しになりかねません。

◆「信仰」の観点を外した「自由」はない

幸福実現党は、「自由」「民主」「信仰」を政治の基本原則としています。

「どんな子供を産むかどうか、中絶するかどうかは、親の自由ではないか」という考え方もあるかもしれませんが、そこには神仏の心に基づく「善悪の価値基準」が欠けています。

この問題を考える上では「人間はなぜこの世に生まれてくるのか」という霊的人生観を知る必要があります。

人間は、自らの魂を磨く修行をするために、人生計画を立ててこの世に生まれてきます。

さまざまな苦境や困難も「人生の問題集」というべきもので、障害も、あえて厳しい環境で魂を鍛えようと計画してきたことが多いのです。

また、障害を持つ人は「五体満足な体に生まれたこと自体、どれだけありがたいことか」と、他の人に気づきを与える「魂の教師」の役割も果たしているのです。

こうした観点で見れば、障害を負って生まれようとしている命を中絶で殺めることは間違っています。

政治の役割は、そうしたチャレンジ精神あふれる魂たちを応援し「チャンスの平等」を与え、この世の「魂修行」の環境を守るような施策を打つことです。

「信仰」の観点がない政治は、人間の尊厳を大きく誤らせてしまうのです。

小川 佳世子

執筆者:小川 佳世子

幸福実現党政務調査会長代理

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