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神風特別攻撃隊について

HS政経塾6期生 坂本麻貴(さかもと・まき)

昭和19年10月、大西瀧治郎海軍中将がフィリピンに着任した時、第一航空艦隊の手持ちの兵力は、39機のみという、まともに米軍と戦うのはほぼ不可能な数でした。

そこで20日、特別攻撃隊の編成を決定したのです。

25日には関大尉率いる敷島隊など18機が出撃し、護衛空母3隻を大破などの戦果をあげました。

その大西中将は「特攻の父」と呼ばれていますが、「特攻は統帥の外道」と語っていました。

また、「特攻を続けるのはムダではないのか」という質問に対しては、「日本がたとえ負けたとしても、青年が国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本人は滅びない。」と語っています。

大西中将はアメリカとの軍事力の差をよく把握しており、戦争はもう終わらせるべきだと考えていたのです。

◆特攻隊員の遺書

戦局が悪化し、一般国民が巻き込まれるようになると一時の感情に駆られて志願したり、周りの人の空気に押されて志願するようなことも一部ありました。

しかし、大部分は国を守ることは家族を守ることであると考え、志願していました。

≪今や祖国の隆盛と東洋平和を祈りつつ、愛機と共に敵空母へ花と散りゆく。唯々救国の要に此の身を捧げ、悠久の大義に生きむのみ。(野口鉄雄 昭和20年4月13日戦死)≫

≪特別攻撃隊に志願するや否や、論を持たず。わが身があるは国があるが故なり。国なくして家なし。彼を撃滅せずしては我が理想たる、大東亜の新秩序は成らず、八紘為宇の大精神は大東亜に遍からず。(大塚要 昭和20年5月25日戦死)≫

以上の遺書からも、志願した特攻隊員たちは狂信的でも妄信的でもなく、純粋に自分の正義のために命を賭けて戦ったということが分かります。

◆特攻の精神に学ぶ「血の通った正義」

大戦中、日本側には日本側の正義がありました。

大東亜戦争が日本の自衛戦争であったということは、のちにGHQのマッカーサー元帥自身が認めていることです。

日本は日本の正義観のもと守るべきものを守ろうとしたのです。その日本の正義とは、欧米から植民地を解放し、人権と、自由と、平和を守ることでした。

たとえば、インドネシアに日本軍はPETAという祖国防衛義勇軍をつくり「自分の国は自分でまもる」ということを教えました。それが1945年のオランダからの独立につながっています。

また、タイのプラモートー元首相は、サイアム・ラット紙で「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。」と書いています。

一方、アメリカ側の正義とは、神の名のもとに、自由と民主主義の精神をアジアに広げるということでした。

この「アジアの独立・日本の正義」と「自由と民主主義・アメリカ的正義」の二つの価値観が衝突し、それが戦争という最悪のかたちとなってあらわれたのです。

何が正しいのかということを考える時、正義は立場によって変わってくる面がありますが、先の大戦ではアメリカ側が勝利したのです。

これにより日本はより自由や個人主義を重視する価値観を受け入れましたが、しかしこれによって反対に日本人としての愛国心や国を守るという精神を置き去りにしてきたのです。

そうした公的使命のために自己犠牲も厭わない特攻隊員1人ひとりの精神性は後世に受け継がれていくべきです。

いま、日本人には純粋に、利己心や保身をこえた「血の通った正義」とは何なのかということを議論することが必要でないでしょうか。

日本は、敗戦のトラウマを乗り越えて、独立国としての防衛力をしっかり整備するべきです。

坂本麻貴

執筆者:坂本麻貴

HS政経塾6期生 

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