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東京裁判史観を越え、日本の誇りを取り戻す

HS政経塾 第6期生 野村昌央

◆目的を知らなければ教訓を活かせない

毎年夏になると、テレビや新聞で戦争についての番組や記事が見られます。かつてあった戦争の体験を忘れず、語り継いでいく事は大切でしょう。

ですが、本当の意味で平和の実現に向けて行動するためには、戦争の犠牲となった人達の悲惨な体験を語り継ぐだけではなく、なぜ犠牲を伴ってまで戦争を戦ったのかを知る必要があります。

「戦争の目的は一体何だったのか」「なぜ開戦に至ったのか」を知らずに「戦争はいけない」とだけ言っても、何をすれば過去の教訓を活かせるのかが分からず、世界恒久平和の実現に向けて行動することができないのではないでしょうか。

◆東京裁判に裁判としての正当性はない

まず、先の戦争、大東亜戦争の目的ですが、GHQ最高司令官を務め、東京裁判条例をつくらせたダグラス・マッカーサー氏は1951年にアメリカ上院軍事外交合同委員会の場で、公式に「日本は自衛のために戦争に入った」事を証言しています。

そして、開戦に至った経緯について、東京裁判でインド代表判事のラダビノッド・パル博士は、日本に対する資源の禁輸措置の交渉を例にあげ、「日本と合衆国との条約が、一九三九年七月二十六日に廃棄されたので失効になったとき、日本に苛酷な経済的重圧が加えられた。禁輸が有効になったときの貧目標ならびにその日付を一瞥しただけでも、この措置が日本の民間人の生活にも、どれほどまでの影響をおよぼしたかが明らかになるであろう」としています。

そして制裁解除のための交渉について、「もし交渉が、当事者のだれでも、準備の時間を稼ぐ目的だけに図られたとみなしうるならば、時間を稼いだのは日本でなく、米国であったといわざるをえない。両国のそれぞれの資源を思い出して見れば、日本は時間の経過によってうるものはなにもなかった」と述べています。

つまり、資源供給が断たれた日本は自衛のために、アメリカを牽制しつつ、当時オランダ領であったインドネシアに資源を求めたというのが開戦に至った経緯です。

過去の教訓に学ぶとすれば、日本はエネルギー資源の自給と安定供給を万全にしなければならないということでしょう。

パル博士は東京裁判で判事を務めた後、国際連合国際法委員会議長に二度選出されています。また、東京裁判を批判する海外からの声はパル博士以外にもあります。

ハンキー元英国内閣官房長官はその著『戦犯裁判の錯誤』の中で、「パル判事は絶対に正しい」と述べています。

また、アメリカのロバート・A・タフト元上院議員は「勝者による敗者の裁判は、どれほど司法的な体裁を整えてみても、決して公正なものではありえない」と述べています。

ジョージ・ケナン国務省政策企画部初代部長も「そういう制裁は戦争行為の一部としてなされるべきであり、正義と関係ない」と東京裁判を非難しています。

◆誇りを持って共存共栄の道を歩む

以上のように、東京裁判で作られた歴史認識は非常に一面的なものであり、フェアではありません。先の戦争の悲惨さだけでなく、その目的を知る事は、子供達の教育にとっても大切です。

自分を愛すればこそ他の人を愛せるように、自国に誇りを持って生きてこそ他国の文化も同様に敬う事ができるのです。

<参考文献>
東京裁判研究会編『パル判決書(下)』講談社学術文庫
佐藤和男『世界がさばく東京裁判』明成社
田中正明『パール判事の日本無罪論』小学館文庫
渡部昇一『「パル判決書」の真実』PHP研究所

野村昌央

執筆者:野村昌央

HS政経塾6期生

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