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日本と海外の絆 ――スリランカ編

文/幸福実現党 大阪府本部副代表 数森けいご

◆インド洋の真珠 スリランカ

インド南東に位置する島国であるスリランカ民主社会主義共和国。

国土は北海道の80%ほどと狭い国土にもかかわらず、スリランカにはお釈迦さまの歯が納められているという「仏歯寺」やオランダ統治時代に建造された城壁の町「GALLE FORT」など8つの世界遺産が存在しています。

米紙ニューヨークタイムスが2010年に「行きたい観光地」の1位に選んで以来、観光客が多く訪れる観光国としても有名になっています。

◆近代的な首都コロンボ

首都コロンボでは有名ホテルも多く進出しており、ゴミもほとんど落ちていない綺麗な街並みが存在します。

スリランカは1983年から26年間にわたって内戦が続いていました。しかし2009年の内戦終結後は外国からの投資も増え、急速な経済成長をとげているのです。

このスリランカの経済発展には日本のODAが大きく貢献しています。

高速道路などのインフラや国会議事堂が日本のODAによって造られており、現地の人々の日本への感謝も強く、非常に親日的な国となっています。

◆日本を分割統治から救ってくれた初代スリランカ大統領

日本とスリランカの関係は単純に経済的支援を行う側と受ける側ということではなく、同国の親日ぶりも近年に始まったことではありません。

両国の間には過去の絆があり、それは特に日本人が知っておくべき歴史であるのです。

実は戦後の日本を救ってくれた恩ある人々の1人がスリランカの初代大統領 ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏なのです。

1951年のサンフランシスコ講和会議にて連合国は莫大な賠償を日本に請求しただけでなく、日本の分割統治を検討していました。

アメリカの統治案では、沖縄から九州・中国地方までがイギリス、四国は中国、中部から新潟・宮城周辺までをアメリカ、北海道・東北地方をソ連が統治するというものでした。

この会議において、当時、旧セイロン大蔵大臣であったジャヤワルダナ氏がスピーチを行っています。その内容は以下の通りです。

「日本から賠償をとるべきでしょうか。我々は権利を行使するつもりはありません。憎しみは憎しみでは消えず、愛することによってなくなります。」

会場は大きな拍手に包まれ、会議の方向性が変わり、日本は分割統治から免れたと言われています。

このジャヤワルダナ氏の対応に対し、当時の総理大臣であった吉田茂氏は「日本人はこの大恩を後世まで忘れてはならない」と語っています。

◆日本を愛し続けたジャヤワルダナ元大統領

その他にもジャヤワルダナ元大統領がいかに日本を愛していたかがわかるエピソードが残されています。

ジャヤワルダナ氏は1996年に亡くなられたのですが、その際に元大統領が「自分の右目の角膜はスリランカ人に、左目の角膜は日本人に送ってほしい」と述べられ、亡くなられてから2年半後、群馬県の女性に角膜移植がおこなわれています。

ここには元大統領が「自分はスリランカと日本の両方の国を見ておきたい」という想いが込められていました。

なぜ元大統領はここまで日本を愛してくれたのでしょうか。

そこには、欧米列強と戦った勇気ある国である日本とその国民に対して並々ならぬ敬意があったからだと言われています。

◆インド洋経済圏の中心に位置するスリランカ

東南アジア10か国から成るASEANが擁する人口が6億人であるのに対し、スリランカやインドなど8か国が加盟するSAARC(南アジア地域協力連合)の人口は17億人にのぼります。

スリランカはこの巨大なインド洋経済圏の中心に位置しているのです。このスリランカとの関係を強固にし、経済的連携を強めながら、中国の海洋進出など不安定要素の多いアジアにおいて日本が貢献できることは多くあるはずです。

ジャヤワルダナ元大統領がサンフランシスコ講和会議において勇気あるスピーチをされたように、日本は「正義とは何か」を考え、国際社会にはっきりと打ち出していくべき時期にきているのではないでしょうか。

憎しみを超えて、愛を取るべく、日本がリーダーシップを発揮しなければなりません。

数森圭吾

執筆者:数森圭吾

幸福実現党 大阪府統括支部長

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