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何を争点にするべきか――本当の意味での政治参加の自由を!

文/幸福実現党・岡山県本部副代表 たなべ雄治

◆高まる政治不信

民主党と維新の党の合併が決まったようです。さらに、共産党も野党共闘で選挙協力をするそうです。

政治不信がささやかれる中、日本の政治および選挙は、どこへ向かおうとしているのでしょうか。

◆代議制民主主義の仕組み

日本は、代議制民主主義という制度を取っています。

国民が選んだ政治家に判断を委ねて、その代わりに説明責任を負ってもらう仕組みです。

選挙時には政治家は公約を掲げますが、当選後は公約に縛られることはありません。マニフェストと違うことをやっても、法律違反ではありません。

ただし、有権者に十分な説明責任を果たしていないと判断されると、落選させられることになります。

この制度のために、選挙の時に言っていたことと当選後にやっていることが違うではないか、という点が問われて政治不信の原因になっています。

この政治不信を解決するために、もっと直接民主制に近づけて、法的に公約に縛られるべきだという考えもあります。

しかし、変わりやすい国際情勢の中で、硬直的に公約を守ることが国民の利益にとってベストとは限りません。むしろ危険が大きいと言えるでしょう。

◆専門性が高いために政治家に委任する

また昨今の政治は、国内の事情も国際情勢も複雑化しています。

官僚組織という専門家集団の役割が高まっています。

一方で、一般の有権者が、個々の政策に対して十分な知識を得るのは容易なことではありません。

有権者と官僚をつなぐ役割として、ある程度の知識を有する政治家に判断を委ねる、という現状のシステムが現実的でしょう。

◆知識・情報面で、実質的には政治参加の自由が制限される現状

政治が高度化して専門性が高くなると、有権者は政治を理解しにくくなってきます。

この理解しにくさが、議員・官僚・利害当事者の癒着を許してしまう面があります。事件が明るみになる毎に、政治不信は膨らんできました。

一方で、「どちらとも取れない曖昧さ」や「あらゆる立場への配慮」などといった、安倍談話に見られるような「複雑さ」こそ成熟した政治である、という考えもあります。

しかし、この分かりにくさは、「政治参加の自由」の侵害以外の何物でもありません。これも政治不信の原因でしょう。

◆何を議論するべきか

この政治不信を、どう解決していけばよいのでしょうか。有権者の多くが口にされる、政治に対するあきらめを克服するにはどうすればよいのでしょうか。

政治活動や選挙活動を通じて、私たち国民が何を議論すべきか、が問われているのではないでしょうか。

選挙時には、現職の政治家の説明責任を問うとともに、今後の政策が争点になります。

しかし上述のように、変化しやすい情勢に合わせて、政策は変わるものです。

この前提で考えるなら、選挙において政策だけを比較するのでは不十分です。

むしろ、「どうしてその政策を選んだのか」という「善悪の判断基準」と、その基となる「世界観」こそ問われるべきではないでしょうか。

「善悪の判断基準」を明確にしたうえで政治家に委任するのなら、政治は分かりやすくなるはずです。

政治は、国民全員の人生に否応なく関わってくるものです。

であるならば政治家は、自身が考える「理想の人生像」を説明するべきです。「生きる意味」について語れなければなりません。

◆幸福実現党の世界観とは

世の中には様々な世界観があります。多様な世界観について、自由な議論が行われることが理想的です。

その前提で、幸福実現党の世界観をご説明します。

人間は、死んだら終わり、ではありません。人間は、魂という永遠の生命を持っています。その魂が生まれ変わりを繰り返して、様々な人生を経験します。

色んな人生を経験し、その中で努力して、様々な苦難を乗り越える過程で得られた経験、そこから学んだ智慧こそ、人生の価値です。

努力こそ人生の意義であり、何を学んだかが人生の豊かさです。

この世界観に基づき、国民の皆様が、努力する中で様々な学びが得られる社会を創ることこそ善だと考えます。

だから、何よりも自由を大切にします。

皆様の人生が実り多きものになることを願い、幸福実現党は戦い続けてまいります。

たなべ 雄治

執筆者:たなべ 雄治

HS政経塾 三期生

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