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現代の三重津海軍所、オスプレイ佐賀空港配備の実現を!

文/幸福実現党・佐賀県本部副代表 中島 徹

◆世界遺産 「三重津海軍所跡」

今年は7月に『明治日本の産業革命遺産』が世界遺産に登録され、子供が夏休みの間に行ってみようという方も多いと思います。

私が住む佐賀県でも「三重津海軍所跡」という遺産が登録されました。「三重津海軍所跡」は、佐賀藩が1858年に設営した操船や造船等の海軍技術を藩内に広める事を目的に設置された海軍教育施設です。

その特色は当時、日本の最先端の工業技術を持っていた佐賀藩が日本初の実用蒸気船『凌風丸』を建造したことや、有明海の干満の水位差を利用した大型帆船や蒸気船の修理を行うことが出来るドライドック(船渠)を有していたこと等があげられます。

そこで培われた海軍技術や人材、そして軍艦は戊辰戦争やその後の明治政府の設立期においても重要な役割を果たしました。

◆国防の緊急課題だった海軍力強化

なぜ佐賀藩が三重津海軍所という海軍施設を造る必要があったのでしょうか。

それは幕府より長崎港の警備を福岡藩と1年交替で任せられていた1808年に起きた「フェートン号事件」にさかのぼります。

長崎港に不法侵入してきたイギリス軍艦フェートン号がオランダ商館員を人質にとり、薪水・食料を要求し、拒否すれば湾内の船舶を焼き払うと長崎奉行を脅してきました。

しかし当時、イギリス軍艦に対抗しうる軍事力を持たなかった長崎奉行所と佐賀藩はその脅しの前に屈し、要求を飲まざるを得ませんでした。

また、清国がイギリスの軍事力の前に敗れ香港をイギリスの植民地にされたアヘン戦争(1840年)も起こりました。

当時の10代佐賀藩主鍋島直正はこれらの外国勢力の脅威を肌で感じ、その武力に対抗するため、藩士、佐野常民等に命じ、洋式海軍の創立や、近代科学技術の導入を進め、国防力を高める目的で三重津海軍所等の施設を整備していきました。

◆忍び寄る中国の軍事的脅威

一方、現代に目を転ずれば、急速に軍事力を増し、日本を脅かしている隣国があります。

先日、東シナ海における中国のガス田開発施設が、この1年で6基から12基に倍増し、さらに4箇所建設中だというショッキングなニュースが流れました。

新聞報道ではこの施設が軍事施設に転用可能とし、今まで中国が把握できなかった自衛隊、アメリカ軍の秘匿性の高い情報が中国に把握される可能性が高まるという観測もあります。

南シナ海では一足早く、岩礁を埋め立て、軍事施設を設置し始めています。まさに幕末に押し寄せてきた強大な軍事力を持つ国が、その力を背景に諸国を脅かす事態の再来のようにも見えます。

あわせて国民の生命や領土保全に関わる安全保障上、重大な情報を国民に知らせないばかりか、放置し続けた安倍政権は、まさに右往左往する当時の長崎奉行所のようでもあり、その危機感の無さには驚愕すべきものがあります。

◆先人の先見の明に学び、武士道精神でオスプレイの受け入れを!

昨年7月22日に、南西諸島防衛や災害時の対応のために佐賀空港へのオスプレイ配備の要請が防衛省から佐賀県へなされましたが、1月には佐賀県知事の交代もあり、現時点で結論が出ていません。

その間、中国は南シナ海では猛スピードで岩礁を埋め立てて滑走路を造り、東シナ海ではプラットホームを倍増させいつでも軍事目的に転用可能な体制を築きました。

また尖閣諸島には中国公船がほとんど毎日現れ、九州近海でも潜水艦が侵入する海図作成のためと考えられる海洋調査も行われ、軍事的侵攻の準備を着々と進めている事がうかがわれます。

地元佐賀では、佐賀空港にオスプレイを受入れれば、騒音問題や墜落の危険がある等とマイナス面を強調する議論ばかりが先行し、マスコミを賑わせています。

確かに、環境的変化も旅客機に比べ、多少あると思われます。

しかし、日本が外国から侵攻され、領土が侵されれば、そこに暮らす人々はチベット、ウイグルのように現在のような言論の自由さえなくなります。

「三重津海軍所跡」が世界遺産となり、先人達の先見の明が明治以降の産業を興し、日本を外国の脅威から護り、今の日本を造った事実が注目を浴びています。

葉隠れの武士道精神を生みだした佐賀県であるならば、大局を見て、日本の国民を護るために、そしてアジアの平和と安定のために、現代の三重津海軍所とも言うべきオスプレイの佐賀空港配備を一日も早く実現する必要があります。

私も引き続き配備実現に向け微力ながら活動して参ります。

中島徹

執筆者:中島徹

佐賀県本部副代表

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