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仁徳天皇に施策の根本を学ぶ

文/HS政経塾4期生幸福実現党大阪本部副代表数森圭吾

◆「愛」と「徳」高き仁徳天皇

古事記によると、西暦300年~400年頃に在位された仁徳天皇。その御名の通り、歴代天皇のなかでも徳高き天皇として知られています。

仁徳天皇は日本の第16代天皇で、古事記、日本書紀などにも登場しており、当時の皇居は難波高津宮(なにわのたかつのみや)で、現在の大阪府大阪市中央区周辺にあったとされています。

仁徳天皇の墓である仁徳天皇陵は大阪の百舌鳥古墳群にあり、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられ、墓域面積は世界最大です。

参考:世界三大墳墓の比較(堺市HP)
http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/sei/sandaifunbo.html

◆仁徳天皇の「仁」の政治

記紀に記されている「民のかまど」の逸話にも見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られています。

「民のかまど」の逸話

当時の民衆は非常に貧しく、質素な生活を送っていました。

仁徳天皇はこの状況を憂い、まず「宮殿に使える労役をなくせば、民が耕作や機織りに集中でき、豊かになるのではないか」と考え労役を廃止します。

その後三年たち、仁徳天皇が飯時に高台から都を眺めたとき、人家から飯を炊く煙が上がっていないのを見て民の生活は豊かになっていないことを知ります。

民の生活が改善しない理由について、天皇の側近が「近年、日照りや水害が続き、穀物が実らないため」と説明します。

仁徳天皇は民を救うため、宮中に保管された食糧(三年分)を切り崩す前提で、民に対する税と労役を3年間廃止します。

宮中には反対の声もありましたが、仁徳天皇はこの政策を断行します。三年後、仁徳天皇が飯時に高台に上ってみると、炊煙が盛んに立ち上っていました。

仁徳天皇は喜び、こんな歌を詠まれました。

高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑ひにけり

この時、仁徳天皇は皇后との会話の中で以下のように述べたともいわれています。

天皇 「私はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」

皇后 「宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」

天皇 「政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、私も富んだことになるのだ」

実はこの逸話はここで終わりではなく、続きがあります。

仁徳天皇は民がさらに豊かになることを望み、税・労役免除をさらに三年間継続することを決定し、その間、宮中の食糧や修繕は自給自足することとしました。

その後、民は益々ますます豊かになり、自ら納税を訴える者もあらわれ、宮廷を修繕すべく大工道具をもってくる者もいたといいます。

◆「政は民が本」~君民一体を実現した施策~

仁徳天皇の業績はこれだけではありません。

日本書紀には関西を中心に各地に大規模土木工事を行ったことが記載されています。当時、民の生活の豊かさは、食物の確保にかかっていました。

仁徳天皇は民の生活を豊かにするため、土地を開墾し、田畑をつくる大規模土木工事を行ったのです。

これは先ほどの「民のかまど」の逸話と同様、すべては「民」のために行った施策でありました。この日本初の大規模土木工事において発生した大量の土によって百舌鳥古墳群が誕生したと言われています。

仁徳天皇が眠る仁徳天皇陵の建造にどれほどの期間と労力が必要だったかについて、ある建設会社が以下のような試算結果を出しています。

必要年月:15年8ヶ月
必要人員:796万人

学者のなかには仁徳天皇陵は「天皇の権威を示すために民衆を奴隷として使い、建設させた」と主張する方がいます。

しかし当時、日本の人口は全国でも4~500万人程度。これだけの時間と人を強制的に労役につかせた場合、農耕などに人員が割けず、民だけでなく宮中の人間まで飢える可能性があります。

つまり、仁徳天皇は人々とともに大規模な土木工事を行い、民は仁徳天皇への感謝でその土を使った御陵に仁徳天皇を埋葬し、「和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」と書き残したのでしょう。

まさに「君民一体」。一つの理想政治が当時実現していたのではないでしょうか。

過去の世界史のなかには、権力者が民衆を私物のように考え、財産どころが命を奪っても構わないといった行動をとった暴君もおりました。

しかし仁徳天皇には根本に「仁=愛」があった。民への無償の愛があったからこそ「徳」が発生し、人々の「信」がついてきたのではないでしょうか。

◆現代の政治家に必要な「仁」と「徳」

現代は当時と比較し複雑な社会となっています。

しかし現代において、この仁徳天皇の精神を持って施策を行っている政治家が一体何人存在するでしょうか。

単なる綺麗事ではなく、この民を思う私心なき「仁愛」こそ国民の命を預かる政治家に必要な基本的精神ではないかと思います。

我々幸福実現党が「宗教政治家」の必要性を訴える意味の一つがこの「仁」です。

本来、宗教にはこの「無私の愛」が存在するからこそ「宗教政治家」に存在意義があると考えています。愛と徳ある政治を実現するため、幸福実現党は活動して参ります。

数森圭吾

執筆者:数森圭吾

幸福実現党 大阪府統括支部長

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