このエントリーをはてなブックマークに追加

バブル崩壊に向かう中国と日本の対応(2)

文/幸福実現党・京都府本部副代表 植松満雄

前回、1990年代の日本のバブルについて述べました。今回は中国経済の「バブル状況」は、どのようにつくりだされたのか、かつての日米の経済と比較しながら説明致します。

◆中国の投資資金はどこから来たのか?

中国は、北京オリンピック以降、過剰投資の資金をどうやって作り出したのでしょうか?

中国は、5カ年単位で計画経済(統制経済)を立てる国であるので、投資の元手は中央政府が一括で管理、規制しているために簡単に地方に資金が出ないのです。

また、2010年当時、中国人民銀行は、景気の過熱を抑えるために、金融引き締め政策を行ないました。

この時点から、資金を銀行から借りられなくなった地方政府は、「シャドーバンキング(影の銀行)」に頼るようになったのです。

地方政府は、「融資平台」という投資会社をつくり、証券会社などから資金を借りさせて、金融引き締めによる規制をくぐり抜けました。

その「シャドーバンキング」には二つあって、一つは銀行が企業に資金を貸し付け、その企業が他に高い金利で貸し付ける「委託融資」というものと、貸出債権を小口化した「理財商品」があります。

◆シャドーバンキングの市場規模?

そして銀行が年率10%もの運用利回りを謳って、「理財商品」を売り、投資家を募りました。集めた資金量は、2010年末で50兆円弱でしたが、2013年6月末には144兆円まで膨らんでいます。

シャドーバンキングそのものも2010年末に176兆円だったものが、2013年6月の段階で496兆円と実にGDPの6割となっています。(モルガン証券の調べでは7割とも)

それが今では、約半分の150兆円以上が返済不能(デフォルト)に陥っているのではないかと推定されているのです。

ちなみに、日本のバブル崩壊で発生した不良債権は50兆円と言われていますので、中国のバブル崩壊で150兆円の不良債権が発生すれば、日本を超える未曾有の不景気が起きる可能性があります。

◆中国のバブルと日本のバブルの違い

ただ、中国の不動産価格の推移や家賃の上昇率をみると、バブルというには程遠く、『最近の中国住宅市場の動向について』を見ると、2007年から12年までの5年間で、住宅価格の上昇率は30%にも届いていないのです。

一方、日本のバブル期(84~89年)の5年間を見てみると、不動産価格は2倍近く上昇しています。

単純に住宅価格の上昇率だけを見ると、中国のバブルはさほど危険な水準では無いように見えます。中国の問題は、シャドーバンキング規制が遅れているため、不動産融資が止まらないことです。

中国の不動産価格上昇率が高くないのは、不動産が供給過剰となっており、住宅開発が多すぎて、需給バランスが崩れ、不動産の価格が頭打ちとなっているからです。

◆中国のシャドーバンキングと日米の経済

ただ、シャドーバンキングは、何も中国にだけの特有のものではありません。

2008年に起こったアメリカにおける「サブプライムローン問題」とも類似し、1989年頃、「財テクブーム」だった日本にもあった話です。

日本においては、証券会社が利回り保証(握り)として「営業特金」なる運用委託商品としてつくりだしたのですが、これを当時の大蔵省証券局が法規制したのです。

ここから日本経済が狂い始めました。当時の名目経済成長率は5~8%でした。実質は4~5%で、失業率は2~2.7%、インフレ率は0.5~3.3%。今から見れば夢のような数字です。

ここで、「バブル潰し」と称して、「金融引き締め」をやったことが日本経済をダメにしたのです。

バブルは土地と株式の制度上の欠陥があって価格高騰を招いたのであって、物価そのものは安定し、日本経済がハイパーインフレを起こしていたものではなかったのです、まったく不必要な政策でした。

◆今後、中国のシャドーバンキングはどうなるのか?

今後、中国で一つのシャドーバンクが破綻すれば、他の金融機関も貸し渋りが加速し、企業の連鎖倒産も増えるでしょう。

「理財商品」は、当然デフォルトに陥り、多くの中国人投資家が損失を被り、地方政府も多額の不良債権を抱え、財政破綻が相次ぐ事態となることは避けられません。

2014年3月の記者会見で李克強首相は、「中国の政府債務リスクは全体としては制御可能で、シャドーバンキングに対する監督管理を強化している」と発言しました。

中国政府が目標としている7.5%成長が維持できれば、銀行貸出も続けられますが、それが出来なくなると、官・民・投資家に至るまで、中国の経済主体のほぼ全てで崩壊に向けてのカウントダウンが始まることになります。

次回は、習近平政権の政策と、それに対する日本の対策を明らかにして参ります。

植松満雄

執筆者:植松満雄

京都府本部副代表

page top