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在宅医療への不可避の流れの中で

文/幸福実現党岐阜県本部政調会長 加納有輝彦

◆自宅で最期を迎えたい

わが国は、急速な高齢化に対応して、訪問医療、訪問看護、訪問介護による在宅医療体制にシフトしていく流れにあります。救急患者、重症患者を優先する病院で慢性期の長期入院は困難な状況になっています。

爆発的に増大する老人医療費を抑制する意味でも、在宅医療へのシフトが望ましいと考えられています。

このような流れから、必然的に在宅で最期を迎える人が増えていくと予想されます。

わが国は、1976年を境に、自宅で亡くなる人より病院で亡くなる人が増え、現在では、85%が病院診療所等で亡くなり、自宅で亡くなる人はわずか13%に留まっています。(厚労省人口動態調査)

国際長寿センターの調査によれば、最期の日々を過ごす場所として自宅を理想とした人は、79.2%、同時に理想通り自宅となると答えた人は、わずか8.2%と、理想と現実のギャップが非常に大きい現実が浮き彫りになりました。(理想の看取りと死に関する国際比較研究 報告 平成23年度)

当面、高齢化社会の主役は、団塊の世代と言われています。2025年には、全ての団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)となり、全人口に占める75歳以上の割合が18%となります。

このような背景から、にわかに日本人の「死に方」と「看取り」について関心が高まり、最近テレビ、雑誌等で特集される機会が増えているようです。

本年8月5日にEテレで放送された「みとりびと 看取りの時間に伝えあうこと」に大きな反響があったようです。

「みとりびと 看取りの時間に伝えあうこと」
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-08/05.html 

◆自然な最期を選択する村(東近江市永源寺地区)

舞台は滋賀県東近江市、永源寺地区。山に囲まれた農村です。人口はおよそ6,000。高齢化率(全人口に65歳以上が占める割合)は30%を超えています。亡くなる高齢者の半数以上が、病気になっても最先端の医療を求めることなく、いわゆる自然な最期を選択する村としていくつかの家族の看取りが紹介されました。

ごはんが食べられなくなって数週間、点滴や医療機器のない、いつもの部屋で村の人たちは静かに枯れるように亡くなっていきます。

看取る家族は、最期の時間に目を背けず寄り添うことで、死と向き合います。子供達も、大好きな祖父母等の死に自宅で立会います。

肉親の死を目の当たりにして、子供達も、命の尊さを学びます。

この地区の在宅医療を支えているのが地元の医師、ケアマネジャーや看護師、薬剤師など8人です。村の80人の高齢者を24時間体制でサポートするチームを組んでいます。

専門家のサポートを受けながら、自宅で家族に看取られて逝く、人間の本来の「死に様」について大きな示唆を与えてくれた番組と思います。

◆横須賀市の取り組み

上記の事例は、農村の事例ですが、横須賀市も在宅医療に積極的に取り組んでいます。横須賀市も現在高齢化率約28%で、数年で30%になるという超高齢社会となっています。

平成25年度に横須賀市は65歳以上の介護認定を受けていない市民の方を対象にアンケートを実施しました。「あなたが病気などで人生の最期を迎えるときが来た場合、最期はどこで過ごしたいと思いますか」という設問に対し、自宅での療養を希望される人の割合は60%でした。

この結果を受けて、住み慣れた場所で最期を迎えたいと在宅医療を望む市民に、「最後までおうちで暮らそう」という冊子を検討材料として配布しています。

「最後までおうちで暮らそう」
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/3120/zaitaku/documents/zaitakuryouyouguidebook.pdf

今後、爆発的に増える医療費、介護費の財政負担の問題は、内政の最大懸案事項です。このような在宅医療の方向性は不可避のものと考えます。

◆老年医学における宗教の意義

日本応用老年学会理事長の柴田博氏は、日本の老年医学に関する学会の研究は、哲学、宗教、文学など人文学を排除する形となっており、この分野の研究発表が皆無に近い状態であると、人文学の成果を老年医学に取り入れる必要性を説かれています。

在宅医療の推進にあたっては、専門家の技術のサポートと共に、死生観等、宗教、哲学の必要性も増して来ると考えます。

幸福実現党は宗教政党として、総合人間学としての宗教の救済力と政策を融合させ、超高齢社会における幸福な理想の最期を追求してまいりたいと考えます。

加納 有輝彦

執筆者:加納 有輝彦

岐阜県本部政調会長

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