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「海洋大国・日本」―新たな国家ビジョンと安全保障【連載第3回】

文/幸福実現党総務会長兼出版局長 矢内筆勝

前回は、日本海に眠る海洋資源を紹介しました。今回の3回目は、その日本の資源を狙う中国について言及致します。

《中国の海軍戦略と海洋進出》

前回で触れた「宝の海」とも言える、我が国の海洋領域を強奪し、奪取しようとする国家が台頭しています。それが「海洋強国」を国家戦略として掲げ、海洋進出を始めた隣国、中国です。

◆中国の帝国主義と海洋戦略

中国は、1978年の鄧小平による改革開放路線によって、それまでの社会主義経済を捨て、市場経済体制に移行しました。

その経済成長は目覚ましく、この20年にGDPの成長率は10%前後で伸び続け、GDPはすでに日本を抜いて世界第2位の経済大国になったことはすでに報道されているとおりです。

中国はその経済力をバックに、驚異的なスピードで軍事力を強大化させ続け、アジア最大の軍事大国へと変貌しました。その目的は、「大中華帝国の再興」であり、日本併呑まで視野に入れた、覇権国家の実現です。

2012年の共産党大会で、党総書記、中央軍事委員会主席に就任した習近平は、国家としての大方針として、「中華民族の偉大な復興」を打ち出しました。

「中華民族の偉大な復興」とは、「漢民族中心の国家建設」と「富強(富民強国)大国の建設」であり、中国共産党創設100周年に当たる2021年を中間目標とし、最終目標は中華人民共和国創建100周年に当たる2049年としています。
  
そうした「中華民族の偉大な復興」という“中国の夢”を実現するための国家戦略が「海洋強国」です。

同大会では、それを「海洋資源開発能力を向上させ、海洋経済を発展させ、海洋生態環境を保護し、国家海洋権益を断固として守り、海洋強国を建設する」と提起しています。

地政学的には「大陸国家」に分類され、1949年の建国以来、その拡大(侵略)の矛先を陸続きの隣国に向けてきた中国が、「海洋強国」として海に向け始めたのです。

その直接的な国家権益の拡大として目をつけているのが、中国の眼前に広がり、資源とエネルギー、そして食料の宝庫としての南シナ海、東シナ海、西太平洋なのです。

◆中国の海洋戦略の沿革

中国の建国以来の海洋戦略の沿革を、財団法人・日本国際問題研究所の金田秀昭客員研究員は、三段階に分けています。

〔第1段階〕1949年の建国~60年代

1960年代の中ソ対立によって、対外貿易活動をソ連との陸運から西側諸国との海運に切り替える必要性が生じ、海運重視の道を選択。64年には国務院直属機関としての国家海洋局を創設し、海洋調査活動を活発化。

〔第2段階〕 1970年代~80年代

1974年、鄧小平が国連特別総会での演説で、中国を発展途上国と第3世界の盟主として位置付け、国連海洋法会議を意識した資源ナショナリズムを主張。

80年代には、人民解放軍の海軍司令員・劉華清が、台湾の武力統一と自国防衛、天然資源確保のための「第1列島防衛線」を設定し、日本列島と南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオを結ぶを絶対海上防衛線とする「近海防御」戦略を策定。

さらに鄧小平の改革・開放路線によって経済成長が現実化すると、成長維持のために、エネルギーと天然資源の確保の必要が生じ、外洋行動力を持った強大な海軍力の必要性を認識。

〔第3段階〕1991年の冷戦終結~現在

冷戦が終結し、旧ソ連との国境線沿いの膨大な軍事力が不要となったことで、国家資源を海軍力の増強に振り向けることが可能となりました。

国防費が連続して2桁(2010年のみ9.8%)の伸びを示す中で、その軍事力の力点を海軍に置き、近代的な原潜や通常潜水艦、駆逐艦、さらに米空母を主目標とする対艦弾道ミサイル、航空母艦の建造を推進。2007年には、胡錦濤主席が「遠海防衛」を提起。

そうした流れの中で、2010年10月、尖閣諸島沖での「漁船衝突事件」が起きました。しかし、この事件は、これから始まる侵略行動の「前哨戦」に過ぎません。

次回は、その中国の戦略について詳しく分析いたします。
(つづく)

やない 筆勝

執筆者:やない 筆勝

幸福実現党総務会長兼出版局長

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