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靖国問題―A級戦犯は存在しない

文/幸福実現党岐阜県本部政調会長 加納有輝彦

◆パール判事の予言

先の日本の戦争について日本無罪論を主張したインドのパール判事は、以下のような趣旨の発言も残しています。

「『悪魔の侵略戦争』と断罪した東京裁判は、国際法に違反するのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復讐裁判に過ぎない。だから全員無罪である」

さらには「東京裁判の害は、原爆より永く日本を害するだろう」とも述べています。戦後70年にもなろうとする今、ますますパール判事の言葉が真実性を帯びてくるのを感じます。

特に、昨年末の安倍首相の靖国参拝以降のマスコミの喧騒を見るにつけ、その感を深くいたします。パール判事が憂えた通り、戦後日本のマスコミの論調は、基本的に「侵略戦争を起こした日本が全て悪かった」という東京裁判史観に支配されてきました。

靖国問題もその淵源は28人のいわゆるA級戦犯を裁き、7人を絞首刑にした東京裁判史観にあると言ってもいいでしょう。

◆いわゆるA級戦犯合祀問題

靖国問題の主要論点は二つに絞られます。

(1)先の大戦を指導した「いわゆる」A級戦犯が合祀されていること。(中日新聞は、昨年12月27日の朝刊紙面で「いわゆる」を付けず「先の大戦を指導したA級戦犯が合祀されている」と表現しています。

(2)首相参拝は、憲法が定める政教分離に違反する恐れがある。

政教分離については、昨日の、小松ゆか氏がこのHRPニュースでも考察していますが、私はA級戦犯合祀について事実関係を振り返り整理したいと思います。

勝者による敗者へのリンチという喩えもあるほど、徹底的な復讐裁判であった東京裁判が終わってから二年もたたない1950年(昭和25年)に、朝鮮戦争が勃発しました。

すると突如として講和条約締結の話が持ちあがり朝鮮戦争が継続する中、1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約は発効されました。

◆異例の条項:サンフランシスコ講和条約第11条

この講話条約は非常に特殊なものでした。通常の場合、講和条約締結後は、国家間におけるそれ以前の問題は全てなかったことになります。

しかし、このサンフランシスコ条約には第11条において「東京裁判において下された判決を、日本政府は講和条約締結後も継続する(28人に対する法廷が課した刑を執行する)」という異例の条項が付きました。

この条項は当時の国際常識に反する異例なことでしたので、それを無効とする条件も同時に記されています。

「日本政府が発議して、裁判に関係した過半数の国が同意すれば判決を変えてもいい」という趣旨の一節が11条に加えられたのです。

◆戦犯の名誉回復

そして1952年6月9日の参議院本会議に「戦犯在所者の釈放等に関する決議」が提出されなんと社会党代議士の賛成弁論もあり全員一致で可決されたのです。

その後1955年7月19日の衆議院本会議で「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされました。国民からも4千万もの署名が集まりました。

これを受けて戦争犯罪人の釈放要求が日本政府から提出され、関係諸国(11か国)の過半数の賛成を得て、1956年に収監されていたA級戦犯が全員釈放されました。(7人は絞首刑によりすでに他界)

このようにサンフランシスコ講和条約の第11条を忠実に解釈して、A級戦犯の名誉が回復されたのであります。対外的にも対内的にも正式な手続きを経て、A級戦犯なる存在は合法的に無くなったのであります。

よって、現段階で存在しないA級戦犯に言及する際は、「いわゆる」を付しているのです。「いわゆる」を付していない中日新聞の報道は、歴史的事実に不誠実と思います。

◆正しき歴史認識の探求

「『いわゆる』A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝することは、悪魔・日本の侵略戦争を正当化する行為であり断固として認められない」とする中国や韓国に対しては、サンフランシスコ講和条約を忠実に履行して戦犯の名誉を回復した歴史的事実を、政府は説明すべきではないでしょうか。

東京裁判史観に立脚する左翼言論は、日本だけが悪さをしなければ平和が実現するという平和主義(戦後体制)を一貫して守ろうとしています。

幸福実現党は、今まさに左翼の牙城を無血開城する時期が来ていると確信し、個々人・人間の正しき心の探求の文脈の中で、正しき歴史認識を探求し、日本の誇りを取り戻すべく活動してまいります。

参考文献:『「東京裁判」を裁判する』渡部昇一・著

加納 有輝彦

執筆者:加納 有輝彦

岐阜県本部政調会長

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