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軽減税率をやめた方が良い理由

文/HS政経塾スタッフ 赤塚一範

今回は軽減税率がいかに意味のない政策であるかということを中心に管理・統制政策の限界について考えてみたいと思います。

◆管理・統制政策の限界

(1)そもそも低所得者より高所得者に恩恵が多い

まず意外かもしれませんが、低所得者よりも高所得者の方が軽減税率の恩恵は大きいことが挙げられます。

エンゲル係数、つまり所得に占める食費の割合は低所得者の方が高いのですが、金額ベースでは、高所所得者の方が食事にかかる費用は大きいため、このような結果になります。これでは、何のための軽減税率かわかりません。

(2)税率が下がっても増税

次に、軽減税率は減税ではあるのですが社会全体で見ると必ずしも減税とは言えません。

古代の日本や中国では、貨幣経済が今ほど発達していなかったので、税は米、布、特産品、労働や兵役で納めていたことを考えればその意味はすぐにわかります。学校で租・庸・調・雑徭・兵役と習った方も多いでしょう。

軽減税率では、品目ごとに納める税額が違うため、各事業者には相当な事務負担がのしかかります。つまり、軽減税は純粋な減税ではなく、実質的な負担を企業に押し付ける増税の側面もあるのです。

現在、この事業負担がどの程度になるか明確ではありません。政府は実際どの程度負担になるか具体的な負担を金額ベースで提示し、日本経済全体として軽減税率はプラス・マイナスどちらが多いか考える材料を提供する義務があるでしょう。

(3)軽減税率は政治的駆け引きの道具となりやすい

また、以前、紹介させていただいたこともありますが、軽減税率の対象となる品目の決定は非常に難しいものがあります。

ある国ではチョコレートはかつて高級品だったので、カカオの含有量によって税率が異なるそうです。

また、経済の進歩の歴史は、贅沢品が必需品になっていく歴史であり、どの時点を基準とするかでそれは異なります。

このようなことから贅沢品と必需品の線引きは難しく、結果的に軽減税率は政治的な駆け引きの道具になってしまうでしょう。

(4)そもそも管理・統制そのものが時代錯誤

軽減税率だけでなくマイナンバーについても同じですが、そもそも管理・統制タイプの政策は、現在の複雑な社会にとって(緊急時は別として)大きなマイナスを与えます。

それは社会の進歩の歴史を見ると良くわかります。大昔の数十人のメンバーで構成される『小さな社会』では集団の長(族長など)が集団の全てを知ることができました。

Aの妻が風邪を引いた、Bは良く働く、などほぼ完全にすべてを知ることができます。このような社会では村で得た収穫物を比較的適切に配分することが可能です。

しかし、現在の市場と分業に基づいた『大きな社会』では、誰かの意志で適切に生産物の配分することはできません。

市場が拡大し、分業が進展すればするほど、政府が知ることができる領域はますます小さくなります。この中で、適切な配分を定めようとすれば莫大な情報を収集し、それを踏まえたうえで決定せねばならず、それが不可能であることはソヴィエト連邦の崩壊で実証済みです。

◆コンピュータや情報技術によって社会を管理してはならない

近年、IT技術の進歩が、マイナンバーなど管理・統制社会の復活に一役買うようになっています。

政府は、技術進歩によって、すべての情報を知ることができ、社会を正しく導くために知る必要があると考えがちです。

しかし、いくらコンピュータが進化しても、管理・統制は限界があります。それは、市場で収集される情報は、過去のものであり、ある時点で全ての情報を知ったとしても、次の瞬間、過去のものとなるからです。

市場とは、常に同じ状態で循環している静的なものではなく、「何が財であるか」「何に価値があるか」などの情報・意見が新たに形成される動的な場であり、将来の情報・意見を一元的に正確に予測できないのです。

◆組織の原理を社会に適用してはならない

軽減税率、マイナンバーなどの制度の行き着く先もかつてのソヴィエトと同じです。

レーニンは社会を「一つの事業所もしくは工場」と見立て、情報の収集と管理によって公平で平等な社会を目指し、政策を実行しましたが失敗しました。

そのような管理・統制的政策にどれだけ先端技術が伴ったとしても、結果は同じです。結局、それは工場や会社など組織の中での管理を意味するにすぎず、複雑な『大きな社会』を導く原理にはなりえないのです。

もし、先端技術をともなった管理・統制社会が実現してしまえば、それはかつてのソヴィエトよりも恐ろしい社会になってしまうかもしれません。

赤塚一範

執筆者:赤塚一範

HS政経塾スタッフ

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