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「実体経済」と「金融経済」、「資本主義」と「バブル」――【後半】

文/HS政経塾スタッフ 赤塚一範

◆増税による国債の返済の問題(1)(信用収縮による恐慌)

国債の増発や企業の借り入れの増大は「将来は利子をつけて返します」という信用が増えることを意味するので「信用拡大」と言います。

この「信用拡大」は銀行を仲介した場合、預金通貨の増大を伴います。一方、借金の返済をどんどん済ませていくことは債券の消滅を意味するので「信用収縮」と言います。

これも通常、預金通貨の減少を伴います。借金の返済による「信用収縮」は個人の金融資産の減少を意味しますので不況をもたらします。

マネタリストの総帥であり、新自由主義の旗手の一人であるミルトン・フリードマンは、1929年の世界大恐慌の原因は「貨幣量の減少である」という実証分析を行っています。

実体経済に何ら問題が無かったとしても、「信用収縮」が起ると、実体経済における需要側である消費や投資が縮小し、それは供給側で工場の閉鎖、企業の倒産、大量の失業者を生み出します。

フリードマンは、GDPの増大よりも、貨幣需要の増大の方が大きい現象を「貨幣は贅沢品である」と表現しています。つまり文明が発達すればするほど、文明の発達の速度以上に大量の貨幣や金融資産が必要となるのです。

このように財政均衡主義に基づいて、国債を償還することは「信用収縮」を引き起こし、経済を恐慌へと導く可能性があるのです。

◆資本主義とバブル

一方、日銀が大量の貨幣を市場に供給することでバブルを懸念する声もあります。現代では特にバブルとは実体経済からかけ離れて金融資産の価値が大きくなりすぎることをバブル呼ぶことが多いと言えます。

自由主義市場経済では人びとが、価値があると信じるだけ価値があります。

例えば、ダイヤモンドは平時であれば価値がありますが、砂漠の中でさまよってしまえばダイヤモンドの価値はコップ一杯の水の価値よりも劣るでしょう。

このように市場経済においては人の「主観」に価値の基礎をおくので、多少の価値の揺らぎ市場の揺らぎは仕方ない面もあります。

しかし、価値も感じないのに、ただ値上がりのみを期待して投機する場合、バブルが発生しやすくなります。

かつてのオランダでは「チューリップの球根」が、馬車や屋敷一軒にまで価値が上昇しました。

また、かつてのイギリスでは、投機ブームの結果「大いに利益になる事業をするのだが、それが何であるか誰も知らない会社」といった怪しい会社の株式までもが取引されるようになりました。

このようにバブルではきっと値上がりするという一種の熱気が市場を支配することによって成り立ち、人びとが熱狂から覚めたときに破裂します。

◆資本主義には正しい宗教が必要

ただ、気を付けるべきは、バブルの否定は資本主義の否定となりやすいことです。バブルを抑制しようとする様々な規制は、新たなことに挑戦しようとする企業家精神に対して向かい風を吹き付けます。

また、バブル潰しによる「信用収縮」は恐慌をもたらします。大切なのは、バブルを問題視することではなく、どうやったら膨れ上がった信用に現実を追いつかせるかということです。

その意味で、熱狂に乗り利益を上げようとする投機家でなく、ある種の倫理観を持った銀行家、投資家、企業家の存在が重要となります。

彼らがバブルを単にバブルで終わらせることなく、信用を実体経済の発展に結び付けるのです。

ドイツの社会学者マックス・ウェーバはその倫理を、禁欲を旨とし神の栄光を地上にあらわさんとしたプロテスタンティズムの精神に求めました。

彼らは職業を自らの使命と捉え勤勉に働き、禁欲をもって蓄財に励み投資を行いました。彼らの宗教的倫理や使命感が、理想など目に見えないものをこの世に現実化させたのです。

このように宗教と経済は矛盾するどころか、むしろ経済が正しく運営されるには宗教的な基盤が必要となってきます。

幸福実現党は、日本に正しい自由主義経済を根付かせる正しい宗教政党として頑張って参ります。

赤塚一範

執筆者:赤塚一範

HS政経塾スタッフ

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