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増税と自由は両立するか

文/HS政経塾スタッフ 赤塚一範

12月に消費税10%への判断が迫る中、増税に反対する声が多数上がっています。9月後半に実施された日本世論調査界の調査によると、反対が72%に上り、賛成の25%を大きく上回りました。(東京新聞10月5日)

セブン&アイ・ホールディングスの村田社長は「消費税の引き上げは社会保障などマクロな視点では必要だと思うが、タイミングを検討した方がよい」、イオンの岡田社長も「われわれの立場からすれば、消費税のさらなる引き上げはないに越したことはない」と消費増税10%に懸念を表しています。(DIAMOND online 10月14日)

増税に対する意見として「増税したら景気が悪くなる」というのが多く見られます。確かにそうなのですが、では景気が回復したら「増税しても良い」のでしょうか?今回はノーベル経済学賞を受賞した経済学者ハイエクの自由論をもとに論じてみたいと思います。

◆自由と私有財産

基本的に増税と個人の自由とは相反する概念です。なぜかと言うと私有財産と個人的自由とは不可分の関係にあるからです。自由とはハイエクによれば「自分の知識を自分の目的追求に使うことができる状態」です。

経済が発達した現代社会において私有財産は自分の目的を追求するための主要な手段であり、私有財産つまり、目的追求の手段が政府に差し押さえられてしまえば、人は自分の目的を達成することが非常に困難になってしまうのです。

このハイエクの自由についての考え方は、ハイエク自身の幸福概念とも関係しています。ハイエクにとって幸福とは「人が自分にとって、本当に価値があると感じることに努力すること」なのです。

◆自由と発展

また自由社会は多様な価値観を認める寛容な社会でもあります。各々が目的を追求するためには、各々の目的や価値観が尊重されなくてはなりません。ハイエクは、自由社会は個人主義に根ざしていると言います。

個人主義とは「個人としての尊敬」を意味しており、そこでは、それぞれの才能や信条、嗜好が尊重されます。この多様性の尊重が発展を生むのです。アダム・スミスが言うように近代の発展の原理は「分業」にあります。

多様性が認められる社会とは、個人がそれぞれの得意分野に特化するという分業社会でもあります。また分業の範囲は市場の範囲に基底されますから、個人の自由の拡大、市場の拡大、分業による生産の拡大が相互に関連しながら、近代文明は発展してきたのです。

◆自由と責任

しかし、ハイエクは自由には責任が伴うと言います。責任とは自分の境遇、運命や結果を受け入れることです。

それができる人のみが自由を享受できます。現在、社会保障が問題になっていますが、老後の蓄えをしてこなかった責任、老後の人間関係のために組織に所属したり家族関係をつくっておかなかった責任など、自由主義社会とは各人の責任が問われる社会なのです。

自由による発展の恵みを享受するには各人が責任を負うことがどうしても求められるのです。

◆市場のルール

責任とは結果を受け入れることと書きましたが、具体的には市場に置ける所得や報酬など自身に対する市場の評価を受け入れることです。自由主義では誰かの恣意的な分配ではなく、価値中立的な市場を信頼します。

ブラック企業批判、格差問題、社会保障問題などの本質は市場に置ける自身の境遇の改善や保護を訴える動きと言えます。この運動は、「社会正義」という言葉と結びつき、人びとに正当な要求のように思わせます。

しかし、「社会正義」の内容は基本的に分配に対する要求であり、分配の基準はあいまいです。よって個人がどれだけの報酬を貰うべきかを市場以外で決めようとすると必ず誰かの意図や計画に従わざるを得なくなり、行き着く先は計画統制経済となります。

自由主義者が金融緩和や財政政策に反対する場合が多いのも同様の理由です。それらの政策は市場おけるルールと秩序を歪め、非効率なところに高い報酬をもたらしてしまう可能性があるのです。

政策により一旦高い利潤が得られるとわかればさらにそこに資源が集まるというように市場の歪みは累積的に蓄積してしまいます。金融政策や財政政策はモルヒネに例えられます。

体調が悪い時に一時的に飲めば気分を良くすることができます、しかしやめられなくなり結局、体と心はおかしくなってしまうでしょう。

◆政府への依存は亡国の道

そしてそれらは市場の歪みだけでなく人々のマインドにも変化をもたらします。もともと自由とは「強制が無いこと」でしたが「欲望を満足させる権能」を意味する自由へと変わっていき政府への依存を強めます。

例えば共産党の「自由と民主主義の宣言」には「生存の自由」(=文化的で豊かな生活をする自由)と書いてあります。

しかし、「どの様な生活ができるか」や「生存」はもともと個人の責任の問題でした。社会が資本蓄積と分業を推し進めていく中で社会全体が豊かになり、それによって多くの人が生き延びることができる社会になったのです。

「自由と責任」を切り離し「政府への期待と依存」を増大させた国家の行く末は滅びです。結局、現在の人口を養い、維持・発展していくためには、格差を認めつつ全体を底上げしていくという自由主義を推し進めていく以外方法はないのです。

赤塚一範

執筆者:赤塚一範

HS政経塾スタッフ

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