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ビットコインは貨幣の進化なのか

文/HS政経塾 スタッフ 赤塚一範

◆「マウント・ゴックス」破綻を受けて

インターネット上の仮想通貨「ビットコイン」が注目を集めています。

2月26日に主要取引所であった「マウント・ゴックス」が取引を停止し、2日後の28日に破綻して以降、特にテレビや新聞等を賑わせています。それを受けて、日本でも、主要国に続き、「ビットコイン」取引に関する指針が示されました。

それによると「ビットコイン」を通貨と認めず「モノ」と定め、銀行での取り扱いや、証券会社での売買仲介は禁止することとなりました。

ただし、「ビットコイン」の取引自体の禁止ではなく、あくまで銀行や東京証券取引所など金融庁の監督を受ける場所での取引禁止です。また、売買には消費税が課され、売却益が出た場合はそれにも課税されます。

◆ビットコインとは

そもそも「ビットコイン」とは、インターネット上での商取引において第三者機関として関わっている金融機関を外すことによって、取引コストを抑えることを目的として発明されました。

「ビットコイン」はクレジットカードのように手数料を払う必要はなく、また国際取引においてもかなりの手間と費用を省くことも可能です。

「米電子部品販売会社の日本法人代表のロジャー・ヴィアさんは、仕入れ先の中国メーカーへの支払いにビットコインを使う。月数百万円分の決済はほぼ一瞬。送金や為替に関する手数料もかからない。従来は取引銀行がドルを人民元に換え、中国側が取引する香港の銀行に送金するため、かなりの手間と手数料がかかっていた。『ビットコインは国境を越えた取引に威力を発揮する』と話す。」(日本経済新聞 2013/7/28 http://www.nikkei.com/article/DGXBZO57739650V20C13A7HR0A00/?df=2

また2月27日の朝日新聞には、「マウント・ゴックス」の取引停止を受けて、元ライブドア社長の堀江貴文氏と同志社大大学院教授の浜矩子氏の意見が掲載されていました。

堀江貴文氏は『ビットコインの広がりは止められない。国に管理されている通貨が必ずしも信用できるとは限らない。何かの拍子で紙のお金が消えてしまうかもしれない。』と「ビットコイン」の可能性について言及しています。

一方、浜矩子教授は『通貨の信頼性を命がけで守る中央銀行のような番人がいない。そんな貨幣のサービス停止は、「やっぱりね」の感が濃厚だ』と発行主体のない通貨の脆弱性を指摘しています。

◆お金の本質

新自由主義の旗手として有名な経済学者ハイエクは「貨幣」を市場や道徳などと同じく自生的に発生した秩序であるとし、貨幣は本来国家が管理するものではないと指摘しています。

通貨は一般的に国家が定め強制的通用力を持つ法定通貨を示すことが多いのですが、必ずしもお金は国家が定めるものではありません。

貝殻や、お米などの食べ物、たばこなど、それ自身に価値があり誰もが欲しがるものがお金として流通してきました。これを商品貨幣と言います。

この商品貨幣は持ち運びや保存に不向きなこともあり、金や銀などを加工した金属貨幣が広まりました。このように実体のあるお金のことを実物貨幣と言います。

今、日本で流通している日銀券は、ただの紙切れであり、商品や金属の裏付けと関係なく発行される信用貨幣です。実物貨幣と信用貨幣との共通点はみんなが欲しがるということだけです。この信用がお金の本質なのです。

これは法定通貨であっても変わりません。お金の価値は「国家」ではなく、どれだけの人が欲しがるか、つまり「市場」が決めるのです。

日本円も、もし日本の生産力が今より低かったら、もし日本が安全保障上の危機に直面するとしたら日本円を欲しがる人はいなくなり一気に円安・インフレに傾くでしょう。

国家が発行する通貨の信用は、基本的にその国のトータルの実力、経済力、生産力や軍事力などに由来するのです。

◆ビットコインの可能性

一方「ビットコイン」は国家のような発行主体がありません。しかしそれだけで貨幣ではないとするのは正しくありません。「ビットコイン」も国家とは違う独自の信用を保つシステムが確立されればそれはお金として流通するのです。

「ビットコイン」の信用の根本はその仕組みそのもの、つまり、高度なセキュリティにより複製が作られにくいこととコインの上限枚数が決められているという希少性にあります。

「ビットコイン」のセキュリティシステムに対する市場の評価は高く「マウント・ゴックス社」の破綻に関しても同社の管理がずさんであっただけで、「ビットコイン」自体に問題が無いとする意見もあります。

また、3月5日の産経新聞では「ビットコイン」の取引価格は「マウント・ゴックス」が破綻する前の水準に戻ったことを伝えています。

ただし「ビットコイン」がシステム的に安全であったとしても、人々が貨幣として使えるという信用が確立しない限り、単に投機的な商品で終わってしまう可能性が高いでしょう。

もし、貨幣としての信用が確立されれば「ビットコイン」は貨幣の進化した姿の一つと言われる日が来るかもしれません。

いずれにせよ、これまでなかった形態の貨幣というだけで攻撃するのは正しくないでしょう。ハイエクの言うように「進歩・発展は未知なる領域の中に含まれている」のです。

赤塚一範

執筆者:赤塚一範

HS政経塾スタッフ

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